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いろとりどりの歌 第93曲「玉の緒よ」

 年もいよいよ押し詰まってきました。こんな時にショップの商品の一部の画像がおかしくなってしまうという不具合が起きてしまい、いち早く復旧をせねばならないと焦るところですが、その完了を待っていれば、せっかく先日 再開し 百首の完成を改めて目指したこの「いろとりどりの歌」がまた長い中断となってしまう。焦る気持ちを落ち着かせて、平安後期の宮廷に思いを馳せ、書いているところでございます。

 さて取り上げるのは、前2回の俊成・定家親子と縁の深い作者による 百人一首第八十九番

 《玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする

   式子内親王 (新古今集・恋一)

 

 詞書は 百首歌の中に忍恋

 

 「玉の緒」は 玉を貫きとめる緒、つまり糸やひものことですが、魂(たま)を体に繋ぐ緒ということから「生命」のこともさします。はかなく弱いというイメージを喚起しますね。

 「絶えなば絶えね」は「絶えるなら絶えてしまえ」。

 

 =わたしの命よ、絶えるなら絶えてしまうがいい。生きながらえていると、恋を忍ぶことができなくなってしまいそう=

 

 恋歌はやっぱり三省堂訳。ー やがてはかなく切れる、玉の緒のような我が命よ。どうせ絶えてしまうなら、さっさと絶えておしまい。なまじっか生きながらえていたりすれば、必死になって表面に出すまいとこらえているこの恋が、こらえきれずに外に現われたりするかもしれない。ー

 

 式子内親王は 忍ぶ恋の歌を多く書いていますが、この「玉の緒よ」は 百人一首の中でも屈指の名歌という呼び声が高いものです。

 

 式子内親王(しょくし・のりこ ないしんのう)は後白河天皇の第三皇女 (1149〜1201)。

 1159年 斎院に選ばれ、1169年 病により退下するまで賀茂神社に奉仕した。退下後は叔母である八条院 損辧覆靴腓Δ掘貌眇堂Δ里發箸覆匹某箸魎鵑擦が、後に八条院らを呪詛したとの疑いをかけられ、八条院からの退去を余儀なくされた。1190年頃 出家。1192年 父 後白河院が崩御した後、とある事件に巻き込まれて洛外追放を受ける(結局 処分されず)など苦労し、1199年頃から体調の不調をきたす。病は次第に悪化し、1201年 53歳で薨去した。

 

 式子内親王の和歌の師は藤原俊成。俊成の歌論書「古来風体抄」は式子内親王に献上するために書かれたものです。しかし歌合などの歌壇活動の記録が少なく、現存する作品も400首に満たないのですが、その三分の一以上が「千載和歌集」以降の勅撰集に入集しており、当時 代表的な歌人とみなされていたようです。

 

 そして 式子内親王といえば定家との秘めたる恋の噂。

 定家は1181年から内親王のもとへ伺候(しこう)していました。定家の日記「明月記」には しばしば内親王に関する記事が登場し、特に薨去の前月には見舞いと病状の記録が詳しく記されているとのこと。しかし薨去については一年後の命日まで一切触れないという不自然さ。そうした書きようから、両者の関係は深いものであっただろうと推定されているようです。

 やがて定家と内親王は秘かな恋愛関係にあったとする説が広く伝わり、謡曲「定家」などが生まれることになったわけです。

 

 謡曲「定家」は、定家の式子内親王への執拗な愛情が、死後 葛(かずら)となって墓石にからみつくというもの。

 定家が強烈なストーカー扱いではないか と腹立たしく感じられますが、テイカカズラという名のキョウチクトウ科の園芸植物は、つる性で有毒、うねりねじれるような花びら、ジャスミンのような芳香を持っており、なんだか情念的のようにも思えてきます。

     

 

 

 

 

author:zarathustra4, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 01:10
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