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いろとりどりの歌 第12曲「ちはやぶる」

 第12曲は 第十七番
 ≪ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは≫ 在原業平朝臣 (古今集・秋下) 

 在原業平(ありわらのなりひら) は平安時代初期の官人・歌人 (825-80)。平城天皇の孫で、阿保親王の五男。最終官位は従四位上。

 901年に成立した歴史書「日本三代実録」には “体貌閑麗” と記されており、まさに伝説の美男子でした。
 同書には続けて“放縦不拘” と書かれています。 −気儘で こだわらない性質。

 まさに日本のドン ファンという感じですが、モーツァルト−ダ ポンテの描いた輝かしいキャラクター「ドン ジョヴァンニ」のように豪放磊落というわけでは もちろんないでしょう。
 (ちなみにドン ジョヴァンニは、ファルスタッフとともに私が愛してやまないキャラクターであります。)

 業平の歌が多く採られ、主人公 “昔男” には業平の面影が色濃く、さらには業平が作者であると勘違いされることも少なくない「伊勢物語」。

 それは業平没後の寛平・延喜時代における貴族の夢想であり、また現実でした。

 そこに業平の真実はほとんどないでしょうが、その偶像化は 千年後にも伝えられることとなるわけです。


 さて 歌。
 詞書は −二条の后の春宮のみやす所と申しける時に 御屏風に竜田川に紅葉流れたるかたを描けりけるを題にてよめる

 二条の后 (藤原高子(たかいこ)) が まだ春宮の御息所 (東宮時代の陽成の母) であった時、その住まいに新たに作られた屏風絵をお題にして詠んだ歌。
 つまり実際の風景を詠んだ歌ではないわけですね。

 竜田川は奈良の生駒を流れる川で 大和川の上流にあたります。
 紅葉の名所として名高い歌枕でした。

 「水くくる」とは、水をくくり染め、つまり しぼり染めにすること。
 川がもみじ葉で満たされているさまを、からくれなゐ (唐から渡来した染料の鮮やかな赤) に染めたと見立てたわけです。

 何とも奇抜な着想ですが、大変カラフルで鮮やか。
 おそらく当時の最先端の素材や技術が活かされた 高価で美しい屏風絵であったことでしょう。

 また「ちはやぶる神代」の 伝説にも聞いたことがない が、神秘的なイメージを喚起します。

 古今和歌集仮名序では「その心余りて言葉たらず しぼめる花の色なくて にほひ残れるがごとし」と批判されている業平ですが、この歌はまさに百首に選ばれるに値する秀歌と言っていいのではないしょうか。 (それにしても紀貫之はたとえがうまい!)

 ところで 古今集には上掲の詞書のあとに この歌ではなく、別の歌があります。
 <もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらむ>

 作者は素性(そせい)法師。
 業平の歌はこの歌のあとにあるのです。同じ機会に詠われたわけですね。

 これもなかなか面白い着想ですが、業平の歌がどれだけ鮮やかであるか、斬新であるかということの物差しになっているようにも感じられます。

 

 業平ゆかりの地というのは全国各地にあるようですが、そのひとつ 京都・大原野小塩の十輪寺。
 業平晩年の住まいであったという説があり、塩焼きのための塩竈跡などがあります。
 小塩という地名も この塩竈跡からきているとのこと。

 さらに目玉は伊勢物語等を題材にした三十二面の襖絵。近年復元されたもので 大変美しい。
 上掲画像はその一部。天上から業平が姿を現すところの図です。
 なお、画像右寄り上部にさげられている紙には「撮影はできません」と書かれています。スミマセン…。

 ***

 素性法師は遍照の子。「今来むと」が百人一首で採られています。
 二条の后の御子 陽成 (院) も 「つくばねの」 が採られています。

 “放縦不拘” の “不拘” は「ふこう」と読み、字のごとく「こだわらない」という意味なのでしょうが、辞書に載っていませんでした。ネット検索してみると さっと出てきたことは出てきたのですが、なんと中国語辞書でした。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 12:24
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