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いろとりどりの歌 第14曲「心あてに」

 第14曲は 第二十九番
 ≪心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花≫ 凡河内躬恒 (古今集・秋)

 = あてずっぽうに折ろうとして折ることができるだろうか 初霜が降りて紛れてしまっている白菊の花を =

 繊細な白のイメージ。
 朝の清々しさ、冷たい空気。−大変清澄な感じのする歌です。

 しかし その一方で、晩秋(二十四節気、秋の最後がまさに “霜降” ですね)の初霜くらいで 白菊が紛れてしまうなんてことはありえるのか という疑問も沸きます。

 現代の大阪・堺では 冬の雪でも白菊が紛れそうなほどはなかなか降らないので、余計にイメージしにくいのですね。
 そんな私が思い浮かべるのは、冬 山に入った時、道端の地面や草に霜や薄雪が置き、枯れかけの白菊がわずかに まだなんとか咲いている という情景です。

 しかしこの歌は実景を詠んだものではなく、「古今和歌集」らしい観念的な美の表現なのでしょう。
 着想のヒントとなる実景はあったでしょうが、頭の中で多分に美化されている。

 凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) には、
 <月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞ知るべかりける>
 という歌もありますが、これも同様の美という気がします。

 躬恒は、平安初期の官人・歌人。
 身分の高くない地方官でしたが (わが現在の地 和泉の権掾も務めていたとのこと)、歌人としては大いに活躍し、紀貫之らとともに「古今集」の編纂にも携わりました。
 自身の歌も 古今集五十八首をはじめとして 勅撰和歌集に百九十四首入集しているとのことです。


 なお “シラギク” という種類のキクはありません。
 秋に白い (あるいは白っぽい) 花を咲かせるキクはかなりの種類ありますが、平安時代には現代のようなキチッとした分類はなく、ひとまとめに白菊と言ったのでしょう。
 あるいは分類はあったが、白花のキクの総称として、あるいは 歌に用いる語として、使われていたのでしょうか。

 歌のヒントとなった実景は自宅の庭などで、菊は観賞用の園芸種であった可能性もあるでしょうね。
 となると、園芸種にその名で呼ばれる種類があったということも考えられますか。

 そういえば 千年前も野には白花のキクがありふれていたでしょう。
 となると、詠われた白菊は栽培された園芸種であるという可能性のほうが高いかも知れません。

 野生のものよりも花びらが大ぶりで見栄えのするほうが 観念的な美は一層鮮やかになりますね。


 なお 秋に咲く白花の野ギクであるヨメナ、ノコンギク、ユウガギクなどの区別は細かい部分でしかできず、私は違いを覚えていません。
 歌によってイメージされる白菊は美しいのですが、里や山で実際に見る白菊はありふれていて、正直特段の関心を持てないのです。
 しかし雪の置く中、必死に生きようとするかのような 1輪の老いた白菊には情趣を感じる。
 人間の情感というのは勝手なものです。

      

 ***

 第10曲 菅家の歌 「このたびは」 で、子供の頃、「まにまに」を「まにまにまにまに〜」などと読むと、正月の百人一首を盛り上げることができるということで 重要な歌だった と書きましたが、これもそんな歌のひとつでした。

 「まどわせる」を「マドモワゼル」とフランス語風に読むのです。

 その時はもちろん「置き」で切れていることを知らず、「置きまどわせる」という言葉があるのだと思っていましたが。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 23:25
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