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いろとりどりの歌 第18曲「心にも」

 第18曲は 百人一首第六十八番
 ≪心にもあらで憂き世にながらえば恋しかるべき夜半の月かな≫ 三条院 (後拾遺・雑)

 天皇誕生日にちなんて天皇の歌を取り上げることに。

 百人一首には 天智天皇持統天皇陽成院光孝天皇、三条院、崇徳院、後鳥羽院、順徳院 という8方の天皇の歌が採られています。
 ただし 天智天皇の歌は おそらく天皇の詠んだものではないということで、正確には7首ということになるでしょうか。
 なお “院” とは 上皇・法皇の御所。転じて上皇・法皇の尊称です。

 百人一首の最後とその前は 後鳥羽院、順徳院。
 武士の世の中へと移り変わる激動に生きたふたりの歌には感慨深いものがあり、まさに王朝の雅の終焉を感じさせて百人一首は閉じられるのですが、その2首は最後の最後にとっておいて、今回は三条院の歌を。

 三条天皇 (976-1017) は冷泉天皇の第二皇子、第67代天皇。

 寛和二年(986年) 11歳の時、7歳で即位した一条天皇の皇太子となります。
 25年もの長い東宮生活を送り、寛弘八年(1011) 一条天皇崩御によって即位。

 しかし親政を望む三条天皇と、孫の敦成親王を早く即位させたい藤原道長との関係はよくありませんでした。
 そんな中 内裏が2度も火災に見舞われるという凶事。
 また皇太子時代から患っていた天皇の眼の病気が悪化。

 しきりに譲位を迫る道長に 天皇はついに屈し、在位5年にして退位することとなったのです。

 後拾遺集のこの歌の詞書は − 例ならずおはしまして位など去らむとおぼしめしけるころ月のあかかりけるを御覧じて
 病気などあって、退位しようとお考えになった頃

 「栄華物語」によると、師走十余日の月の明るい夜、上のお局にて、中宮妍子に詠みかけられた歌ということになっています。

 = 心ならずもつらい生を長らえることになったとしたら、この夜ふけの月が懐かしく思い出されることだろう =

 失意の中、その上 失明するかもしれないという状況で見た月の美しさ。

 何と悲痛な歌でしょう。

 長和五年(1016) 一月 退位 (敦成親王が後一条天皇として即位)。
 寛仁元年(1017) 四月 出家、その翌月に崩御。享年42歳。

 まるで光を失った瞼に映る夜半の月を避けるように逝ったのでした。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 18:39
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