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いろとりどりの歌 第19曲「契りきな」

 新年1回目の歌は 第四十二番
 ≪契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは≫ 清原元輔 (後拾遺集・恋)

 この歌、百人一首の中で特に有名というわけではありませんが、我が家では「母の札」として最も親しまれた歌のひとつでした。

 と申しますのも、私の母方の祖母 つまり母の母の名が「スヱノ」。

 この歌の下の句の最初が「すゑの」であるため、正月の百人一首では 母が取るべき札だったのです。
 ゲーム開始前 取り札をばらけさせる時に 母はこの札を探し、取りやすいように手元に置いておく。
 われわれは 一方的に不可侵条約を結ばされていたようなものですが、そんなこの札を 冗談半分で弟が奪い取ったことがありました。
 母から恨みの言葉をかけられる弟。

 いやぁ、皆で過ごした正月が懐かしいです。

 ***

 「末の松山」は陸奥国にあったという海岸。
 どんな疾風怒涛にも波が越さないことで有名で、心変わりしないことのたとえとして常用されていました。

 「古今集」の陸奥歌に ≪君をおきてあだし心をわがもたば末の松山波も越えなむ≫
という歌があるのですが、この歌はその古歌をふまえて、相手の心変わりをやわらかく しかし充分に恨みを込めて詠った歌です。

 = 約束しましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら。末の松山を決して波が越さないように 心変わりすることは絶対ないと。なのにあなたは… =

 しかし詞書は、心かはりて侍りける女に 人に代わりて。

 つまり本人の歌ではなく、代作です。


 清原元輔は平安時代の歌人・官人 (908-90)。官位は従五位上・肥後守。
 「夏の夜は」 の作者 清原深養父の孫です。

 「梨壺の五人」のひとりとして「万葉集」の訓読や「後撰和歌集」の編纂にあたり、「拾遺和歌集」をはじめとする勅撰和歌集に約百首が入集しています。

 元輔には有名な逸話があります。
 賀茂祭の行列を務めていた元輔が、殿上人の見物の多い一条大橋で落馬するという失態を演じ、笑った人々に “逆ギレ” したという話。

 「今昔物語集」には、彼のことを「馴者 (世慣れた人) のものをかしく言ひて、人笑はするを役とする翁にてなむありける」とあります。
 
 おそらく皆を笑わせるために わざと落馬したのでしょう。
 老いてからの話とすれば、命がけのギャグです。
 道化リゴレットのよう とまでは言わないまでも、高級貴族たちを楽しませる卑官の悲哀…。
 単に根っからのひょうきん者であったのかもしれませんが、どちらにせよ 歌の名手のエピソードとは思えません。

 ***

 「末の松山」は一般的に 多賀城市八幡の宝国寺裏の丘陵地とされますが、実は江戸時代に伊達藩で歌枕 (歌に詠まれる名所) を整備した際に定められた地とのことで、本当にこの地であるかは解らないそうです。

 それにしても この歌に思うことは去年の大震災。
 多賀城市も相当の被害を受けました。
 「越さじ」と思っていた波は越してしまったわけです。

 ***

 さて、次回は私の最も好きな歌のひとつを取り上げましょう。

 現在 最も有名な平安女性のひとりの作。

 その女性は何を隠そう、元輔の娘なのです。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:34
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