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いろとりどりの歌 第24曲「淡路島」

 第24曲は 第七十八番
 ≪淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜ねざめぬ須磨の関守り≫ 源兼昌 (金葉集・冬)

 = 淡路島を行き来する千鳥の鳴き声に、須磨の関守は幾夜目を覚まさせられたことだろうか =

 「須磨」は摂津国の海岸。現在の神戸市須磨区。淡路島は眼前に見る近さ。「関守」は関所の番人。
 須磨はその昔 京から西へ下る交通の要地だったものの、兼昌の時代にはすでに関は廃止されていたとのこと。現在 夏には海水浴場として賑わう須磨も 当時は寂しいところだったのでしょう。

 冬の須磨の浦に寝ている旅人。物悲しい千鳥の声に目を覚ます。寂しさの中 昔の関守に思いを馳せる…。

 とはいえ、金葉集の詞書は −関路の千鳥といへることをよめる。
 須磨で詠まれたわけではなく、歌合せでの歌です。

 この歌には、須磨が 在原行平 (業平の兄) が一時 蟄居させられていたところであり、そして老いた光源氏がわび住まいしていたところであるという背景があります。
 光源氏は <友千鳥もろごゑに鳴くあかつきはひとりねざめの床もたのもし> という歌を詠みますが、この歌はそれを踏まえたものなのです。

 定家は そうした物語的情趣をたたえたこの歌を気に入っていたようで、兼昌の歌をもとにして
 <旅ねする夢ぢはたえぬ須磨の関かよふ千鳥のあかつきの声> を詠んでいます。

 源兼昌は平安時代中期から後期にかけての歌人・官人。生没年不詳。敦実親王の子孫のようですが、官人としては出世せず、その後出家。
 業績としては 永久4年 (1116年) の「堀河次郎百首」の作者のひとりとして詠進したことくらいが目立つ程度。
 「百人一首」に選ばれるほどの歌人ではないとされ、彼を選んだ定家の気持ちがいろいろと推測されてきたそうですが、作者の格はさておき、単純に定家はこの歌が特別好きだったということではないでしょうか。

 須磨と淡路島を行き来するような「千鳥」がチドリ科の鳥にいるのか という詮索は意味がないのでしょう。
 単に寂しそうな鳴き声をする海辺の小鳥という程度の語で、また「淡路島かよふ」もロマンティックなイメージに過ぎないに違いありません。
 と言ってしまっては元も子もありませんが…。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 19:42
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