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いろとりどりの歌 第25曲「山里は」
 第25曲は 第二十八番
 ≪山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば≫ 源宗于朝臣 (古今集・冬)

 「かれぬ」は「人めも離(か) れぬ」と「草も枯れぬ」の掛詞。
 人めが離れる とは 尋ねてくる人がなくなること。

 = 山里は季節を問わず寂しいが、冬は最も寂しいものだ。人が訪ねてくることもなくなり、草も枯れてしまうことを思うと =

 技巧を施しながらもケレン味が感じられないのがウケたのでしょうか、後代まで愛されたようで、定家もこの歌をもとに (本歌取り)、<夢路まで人めはかれぬ草の原おきあかす下に結ぼほれつつ> を詠んでいます。

 藤原興風の作に <秋来れば虫とともにぞなかれける人も草葉もかれぬと思へば> という よく似た技巧を施した歌がありますが、どちらが先に作られたのかは判っていないようです。(興風が先とする資料もあり?)
 こちらは、上の句でも「虫が鳴く」と「人が泣く」が掛かっているという超絶技巧(?) を駆使。
 しかし 秋で虫が鳴くのはともかく、人が泣いたり、訪れなくなったり、草が枯れるというのは ちょっと大げさすぎる気がする。
 技巧のために情感が二の次になってやしませんかねぇ…。


 源 宗于(みなもとのむねゆき) は平安時代前期から中期にかけての官人・歌人 (? -940)。光孝天皇の皇子 是忠親王の子。
 寛平六年 (894年) 臣籍に下って源姓となります。
 その3年後 従四位上となるのですが、その後40年以上も昇進がありませんでした。
 「大和物語」第三十段と第三十二段には、そのことを宇多天皇に訴えかけようとする話があります。
 石のついた海松(ミル) のように海に沈んだままでしょうか とか、哀れな武蔵野の草として生きるべきなのか などという歌を御前で詠むのです。相当思いつめていた感じですね。

 しかし宇多天皇は「なんのことだ。意味が分からん。」と言っただけで、まったく効果はなかったとのことです。

 しかし天慶二年(939)、ついに正四位下に昇格! …したのもつかの間、翌年 明けてまもなく亡くなってしまいました。

 ***

 「大和物語」のことを補足しておきますと、石のついた海松をお題とした歌は第三十段にあり、第三十二段に別の2首があります。
 その2首とは <あはれてふ人もあるべくむさし野の草とだにこそ生ふべかりけれ> と <しぐれのみふる山里の木のしたはおる人からやもりすぎぬらむ>。
 この2首に対して天皇が「なに事ぞ これ心得ず」とお付きの者に言われた と書かれています。
 2首とも何か前提となるものがあるのではないでしょうか、確かに “心得ない”。「あはれてふ」はまだしも「しぐれのみ」はさっぱりです…。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:41
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