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いろとりどりの歌 第28曲「わびぬれば」

 第28曲は 第二十番
 ≪わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ≫ 元良親王(後撰集・恋)

 = あなたに会うことができなくなり 思い煩っている今となっては もうどうなっても同じことだ。この身がどうなろうともあなたに逢いたいと思う =

 「難波(なにわ)なるみをつくし」は、難波の澪漂(みおつくし) と「身を尽くし (身を滅ぼし)」の掛詞。
 澪漂はもともと「水脈(みお)つ串」で、船の通路を示すために設けられた杭。
 難波の津は葦の名所として知られていたことからも分かるように全体的に浅く、船の行き来には道しるべが必要でした。
 澪漂は難波の名物となり、後には枕詞にまでなったのです。
 ちなみに 現在 全国を騒がせている大阪市のマークは 澪漂を図案化したものです。

 さてさて。
 この猛烈なラブレターの主 元良親王(もとよししんのう) は、陽成天皇譲位後に生まれた第一皇子 (890-943)。
 しかし貴公子の情熱的なラブレターというだけでは済まされないところがこの歌の面白いところ。
 と申しますのも、後撰集の詞書は「事いできて後に京極御息所につかはしける」。

 京極御息所(きょうごくのみやすどころ) とは藤原褒子(ほうし)
 藤原時平の娘にして 宇多法皇の妃との不倫が露見してしまった際の歌なのです。

 美人で有名だった褒子は 醍醐天皇の女御として入内することになっていたのですが、一目ぼれした宇多法皇 (醍醐帝の父) が横取り、六条京極の河原院に置いて寵愛したという女性。
 河原院とは そう、恵慶の 「八重むぐら」 で触れた 元は源融の邸宅であったところです。

 老王に囲われた美姫の本当の恋。
 密通が露見して大騒ぎとなり 非難され、引き離されてしまうと余計に恋心は燃え上がるもの。
 はたして ふたりの運命は!?
 …
 しかし その後のふたりの運命に関して、特にこれといった記述を見つけられませんでした。
 オペラの題材になりそうな展開はなかったようです。
 ふたりともしばらくの謹慎処分くらいで済んだのでしょうか。

 褒子は宇多法皇の御子3人を生んでいます。法皇崩御までの10年あまりをしっかりと仕えたようで、従二位に叙せられています。
 元良親王が身の破滅を覚悟した恋の相手であったことを伺わせるものは何も残っていないのでしょうか。

 そんな元良親王、実は今昔物語に「いみじき好色にてありければ 世にある女の美麗なりと聞こゆるは 会ひたるにも未だ会はざるにも 常に文を遣るを以て業としける」と書かれており、ドン ジョヴァンニを地でいくような男でした。
 「元良親王集」には多くの女性との贈答歌が収められています。
 しかし褒子とのものも多く、その関係はちょっとした火遊び程度ではなかったことが伺えるようです。
 元良親王の褒子への愛はやはり特別なものであったことでしょう。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 21:16
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