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いろとりどりの歌 第31曲「花の色は」
 大阪では ボチボチと桜の花が見られるようになってきたところ。
 しかし本日は強烈な春の嵐。生暖かい風が音を立てて、ゴミなどを巻き上げています。花は大丈夫でしょうか。

 さて 前回書きました通り、四月は桜を詠んだ歌四首を取り上げることにいたしましょう。
 先鋒は百人一首第九番目、一番最初の春の歌を。

 ≪花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに≫ 小野小町(古今集・春)

 有名な歌人による有名な歌の登場となりました。

 「花の色」は、桜の花の色とともに 自分の容姿の意味も。
 「よにふるながめ」は、「世に降る長雨」と「世に経る眺め」の掛詞。「世」には男女関係の意もあり、「眺め」は物思いに耽ること。

 = 長雨が降り続く間に桜の花は色あせてしまった。恋の物思いにむなしく時を過ごしていて わたしの容姿も桜と同様 衰えてしまったことだ =

 和歌について何の興味もない人にも 絶世の美女として その名を知られている小野小町。
 しかし彼女の時代の文献は 彼女についての確かなことは何も語っておらず、ただ 平安初期、歌が宮廷の風雅な遊びとして定着しつつある時代の優れた女流歌人ということしか分からないということです。
 つまり 美人であったかは判らない。同時に 秋田生まれとか、小野篁(たかむら) の孫というのも確かなことではなく、のちに落ちぶれて諸国を流浪したとか、野ざらしの白骨と化したところ 業平に見出されたとか、さまざまな伝説が伝えられるばかりの謎の人物なのです。

 小野小町の人物像については 残された歌から想像するしかわけですが、その歌は妖艶で哀愁に富み また情熱的です。

 <思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを>
 − あの人のことを思いながら寝たので 夢に現れたのだろうか。夢だと知っていたら目覚めたくはなかったのに −(「ぬればや」は「寝ればや」)

 <かぎりなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ>
 − 限りないこの思いのままに、燃える思いの灯火に導かれ、夜でもあなたのもとへ参りましょう。夢路まで人は咎めたりしないでしょう − (「思ひ」の「ひ」は「火」と掛かる)

 生々しい感情表現が 今なお鑑賞者を魅了してやみません。
 中でも圧巻はこれ。

 <人に逢はむ月のなきには思ひおきて胸はしり火に心やけをり> 
 − 月が出ておらず 逢えない夜には、あの人を思いながら起きていて、胸は騒ぎ、炭火の火の粉に心が焼けるようです − (「思ひおきて」は「思いながら起きている」と「ひ・おき」で「燠(おき)、燠火(炭火)」との掛詞になっているのでしょう。「胸走り(胸騒ぎ)」と「走り火(跳ねる火の粉)」も。

 奔放な恋の持ち主を想像させます。
 しかし一方で寂しい歌もあり、「花の色は」はその代表格。
 小野小町 美女伝説は、妖しく艶っぽい歌、そして「花の色は」のように 容姿の衰えを嘆く歌からの想像であったのではないでしょうか。

 古今集には こんな歌もあります。

 <今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり>
 − 時雨が降って色あせてしまった木の葉のように、わたしも涙のうちに年をとってしまったので、あなたの言葉も変わってしまいました − (「ふり」は「降り」と「古り」)

 小野貞樹へ贈った歌です。
 彼からの返歌は <人を思ふこころこの葉にあらばこそ風のまにまにちりもみだれめ>
  − 人の心が木の葉なら 風の吹くままに散り乱れてしまうだろう −

 小町は決してカルメンではなく、平安時代における多くの貴族女性と同様、一夫多妻制の習慣に辛いを思いをさせられていたひとりの女であったことでしょう。

 小野貞樹は肥後守などを務めた 9世紀半ばの貴族。
 「日本の歴史 平安京」の著者 北山茂夫氏は、小町は貞樹の近親で、おそらく受領(ずりょう) を出すような層の出身だろうと推測しています。

 この贈答歌からは小町は貞樹と結婚していたともとれるように思いますが、さてどうなのでしょうか。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 15:21
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