RSS | ATOM | SEARCH
いろとりどりの歌 第37曲「足びきの」

 さてさて、久しぶりに恋歌とまいりましょう。
 万葉時代のものから。

 第37曲は 百人一首三番目の
 ≪足びきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む≫ 柿本人麿 (拾遺集・恋)

 なお 万葉集の原文は、≪足日木乃山鳥之尾乃四垂尾乃永長夜乎一鴨將宿≫

 「足びき (足ひき) の」は「山」にかかる枕詞。
 「ヤマドリ」はキジ科の鳥。尾が長く「しだり尾」と呼ばれるように垂れ下がっています。
 そして「足びきの山鳥の尾のしだり尾の」の上の句が「長々し」を言い起こす序詞(じょことば) となっているわけです。
 子供の時に母から、上の句は「長い」ということをひたすら言っている ということを教えられたことを思い出します。

 またヤマドリはオスメス別々に谷を隔てて棲むと信じられたため、ひとり寝のたとえとして用いられていたようです。

 訳は、長い夜を 彼女と離れてひとり寝るというのか。

 これではいかにも味気ないので、序詞に含まれている意味もくんで訳してみますると。
 = ヤマドリの長く垂れた尾のように とても長い夜。恋しいメスと谷を隔て 一羽だけで寝るというオスのヤマドリのように、私も恋しいあの子と離れ、ひとりぼっちで寝るというのか =
 こんな感じでしょうか。
 なお「かも寝む」の「かも」は疑問を含んだ詠嘆とのこと。


 柿本人麻呂(人麿) (かきのもとのひとまろ) は言うまでもなく 万葉集の代表的歌人。日本人ならその名を知らない人はいないことでしょう。
 古来 和歌の神として尊崇され、紀貫之は古今集仮名序で「歌のひじり」と呼び、藤原定家の父 俊成は時代を超越した歌聖として仰いだとのことです。
 七世紀終わり頃から八世紀初めくらい活躍したようですが、その経歴についてはほとんど確かなことがないようです。

 日本人ならほとんどの人がその名は知っていることは確かでしょうが、作品となると「足びきの」が出ればいいほうという感じではないでしょうか。

 しかし!
 この歌は、万葉集巻十一に <思へども思ひもかねつ足ひきの山鳥の尾の長きこの夜を> の歌の後に「或本の歌にいふ」として載っているもので、作者名の記載はないのです。

 人麻呂の作であると言う確証はありません。というか、人麻呂の作ではないだろう とするのが一般的ではないでしょうか。

 となると、この歌聖の人口に膾炙した歌というのは特にないということになりますが、彼の歌をつぶさに鑑賞してみますと、古代の自然や生活を鮮やかにイメージさせてくれる歌 (地名が織り込まれているのがいい) や、生々しい愛を歌った歌など やはり興味深いですね。

 中でも私が特に気に入ったのがこれです。

 柿本朝臣人麻呂 近江の国より上り来る時に宇治川の辺に至りて作る歌一首
 <もののふの八十うじ川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも>

 − 網代木があるために 宇治川にただよう波は進むべき方向が判らずにいる −
 「宇治川の網代木」については、「朝ぼらけ宇治の」 (権中納言定頼) で書きました。

 ただこれも、朝廷に仕える官人の意味する「もののふ」は「八十(やそ)」にかかる枕詞、「八十うじ(氏)」で多くの氏族を意味するということで 意味深長。
 自分を含めたたくさんの官人を、宇治川の惑う川水にたとえているようではありませんか。
 当時 官人を脅かす網代木のような障害があったのでしょうか。
 それとも官人が多すぎることを憂いているでしょうか。−となると 公務員削減!の現代に通じるものがありますね。

 なお ウィキペディアには 代表歌として四首が選ばれています。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:17
comments(0), -
スポンサーサイト
author:スポンサードリンク, category:-, 22:17
-, -
Comment