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いろとりどりの歌 第38曲「天の原」
 第38曲は 第七番
 ≪天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも≫ 安倍仲麿 (古今集・羇旅)

 古今集の詞書は、もろこしにて月を見てよみける

 この歌は昔 仲麿をもろこしにもの習はしに遣はしたりけるに あまたの年を経て え帰りまうで来ざりけるを この国より又つかひまかり至りけるにたぐひて まうで来なむとて 出で立ちけるに 明州といふ所の海辺にて かの国の人むまのはなむけしけり 夜になりて月のいと面白くさし出でたりけるを見て よめるとなむ語り伝ふる −と 歌のあとに かなり詳細な説明が記してあります。

 昔とは元正天皇の御時 霊亀二年(716) 八月。多治比県守(たじひのあがたもり) を正使とする遣唐使一行が派遣されました。留学生として従ったのは阿部仲麻呂、吉備真備と僧 玄?(げんぼう)。仲麻呂は十八歳でした。
 唐に残って修学する彼らの前に 次の遣唐使 多治比広成(ひろなり) が姿を見せたのは、十七年後の天平5年(733) のこと。真備と玄?は帰国しましたが、仲麻呂はさらに残留し 名を朝衡(ちょうこう) と改めて 玄宗皇帝に仕えました。
 その次の遣唐使が入唐を果たしたのは天平勝宝五年(753)。大使は藤原清河(きよかわ)。大伴古麿、そして真備も同行していました。
 すでに在唐三十七年となっていた仲麻呂もすでに初老。官職を辞して帰国しようとした時、別れを惜しんた唐の詩人・文人が出航地 明州まで来て 惜別の宴を催してくれました。かの王維もいて 別離の詩を詠んでいますが、この「天の原」はこの時に詠まれた歌と伝えられています。

 = 大空をはるかに仰ぎ見れば美しい月。遠い昔 春日の三笠山に出ていた月と同じ月なのだ =

 唐の地で見る月。帰郷を前に 脳裏に浮かぶは 若き日に見た平城京の東、春日大社の背後の山に浮かぶ月。
 素直でしみじみとした歌です。
 美しいお月さまが 闇に静かに浮かんでいる様子が 冴え冴えと思い浮かぶようです。

 しかし 帰国の道は嵐に妨げられました。古麿、真備らの船はなんとか日本にたどり着きましたが、清河、仲麻呂の乗った船は潮に流され、ベトナムに漂流したとのことです。とはいえ そこは唐の領内 (安南)。仲麻呂らは二年後 長安に帰ることとなりました。
 仲麻呂は帰国を断念、再び官吏に就きます。ベトナムに赴き 総督を務めたりしたとのことですが、結局 日本の地を再び踏むことはなく、宝亀元年(770) 73歳の生涯を閉じました。

 なお 鑑真が盲目となりながらも ついに日本の土を踏んだのはまさにこの時でした。鑑真は古麿、真備らの船に乗っていたのです。

 ***

 古今集・百人一首では「安倍仲麿」と書かれていますが、平城朝の正史「続日本紀」では「阿倍中満、あるいは仲麻呂」と書かれているとのことです。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 19:32
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