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♪Questo♪Momento♪ 第31番「殺しながら幸せを与える唇」
 ピアニストの友人が (光永さんとはまた別のご婦人です)、「ポッペーアの戴冠」の伴奏をするとのことで、CDやDVDの相談を受けました。
 その上演、音大大学院で上演するもので 無料。歌は院生ですが、器楽は彼女を含むプロが参加、しかもチェロ、リュートとともにピアノや電子オルガンなどを使用するというユニークな編成。どんな響きになるか興味があり、聞きに行こうと考えておりました。
 しかし よくよく聞いてみると 全曲の演奏ではなく、私の一番好きな部分もカットされるとのこと。残念…。やっぱり やめておこうかなと (マリ氏申し訳ない…)。

 そこで今回は「ポッペーアの戴冠」を取り上げることに。昔 ブログで書いたものを改訂して。

 ***

 音楽史のバイブルとして親しまれている「西洋音楽史」を著したドナルド・グラウトは、「ポッペーアの戴冠」に匹敵するオペラは、ヴェルディの最後の2作(「オテッロ」と「ファルスタッフ」)のみ と書いているそうですが、わたしにとっての3大オペラは昔「フィガロの結婚」、「オテッロ」、「ファルスタッフ」、しかし「ポッペーア」を知ってからは「フィガロ」、「ファルスタッフ」、「ポッペーア」となりました。

 「ポッペーアの戴冠」はバロック初期のオペラ誕生期に作られたもののだけに、われわれが通常親しんでいる古典派以降のオペラとは趣を異にしており、決して馴染みやすいとは言えません。
 しかしながら そのストーリーの意味深さたるや!
 初めて聞いた時から衝撃を受け (以前 その時のことをメルマガで書きましたね)、すっかり虜になってしまいました。
 そして聞けば聞くほど、その音楽の素晴らしさにも気づかされ、どんどんその愛着度は増していったのです。

 このオペラ、バロック・オペラらしく、運命(フォルトゥーナ)、美徳(ヴィルトゥ)、愛(アモーレ) の三神によるイデア界のプロローグで始まります。
 誰が最も優れているかの争い。しかし運命の神と美徳の神は、愛の神の優位を認める。
 そして愛の神は 自分が人間の世にどれだけ大きな影響を与えるかの例として、ポッペーアとネローネの物語を示すのです。

 そのストーリーをごく簡単に書いてみますと…
 −古代ローマ。夫の将軍オットーネの愛をかえりみず 地位と名誉を貪欲に求める美女ポッペーアと、皇后をかえりみず 政治をかえりみず わがまま放題の皇帝ネローネ (あの悪名高きネロ帝です)。
 愛し合うふたりは それぞれのつれあいら邪魔者を遠ざけることに成功し その愛を成就させる。−

 そう、勧善懲悪とは程遠い。悪が勝利する物語 と言えるかもしれません。
 愛の優位を証明する物語として示されるのは、権力で周りを蹴散らして成就するという愛なのです。
 モンテヴェルディの目は厳しくリアルで、またアイロニカル。安っぽいセンティメンタリズムの入り込む余地はありません。

 彼らの愛の犠牲者たちはと申しますと−
 ポッペーアを失った失意のオットーネは、彼を愛する少女ドゥルシッラの献身に慰められ、愛し合うようになる。
 ネローネに捨てられた皇后オッターヴィアは、なんとか自分の身を守ろうと オットーネにポッペーアを殺させようとする。
 ふたりとも単純な悲劇の 同情すべき人物として描かれていないわけです。
 “アモーレ(愛)” を失ったオッターヴィアは最後ローマを追われますが、それでも死ぬことはありません。他の地で新たな幸せを見つける可能性がある。

 唯一死ぬのが ネローネの師であるセネカ (「ストイック」の語源となったストア学派の哲学者です)。
 彼はネローネの行いを非難し、道徳を説くことを疎まれ、自殺を命じられることとなります。彼はそれを甘んじて受け入れる。

 “ヴィルトゥ(美徳)” を貫かねばならない彼だけが死なねばならないわけです。“運命(フォルトゥーナ)” にしたがって。

 第2幕最初、セネカの死の場面の荘重さを見ると、ひょっとするとモンテヴェルディは美徳がかえりみられなくなった世を嘆き、非難する意図があるのか? という疑念が頭をもたげてきます。
 美徳が軽んじられ、愛が支配する世の残酷さ。

 ところがそれに続く場面は、まったくストーリーに関係のない若い小姓と小間使いの軽妙な恋の戯れの場面。拍子抜けするというか、はぐらされるというか…。
 老哲学者の死のあとに、わざわざ若い性の疼きを挿入するという仕掛け。
 パズルのような仕掛けで 見る者を翻弄し、考えさせ、そして うならせるのです。
 (プロローグをカットしている1993年のヤーコプス指揮の映像は あろうことかここもカット!)

 そしてその次の場面。
 ネローネとその友人で詩人のルカーノ (これもこの場面だけ現れる登場人物) の二重唱。

  Or che Seneca é morto, Cantiam, Lucano セネカ亡き今、ルカーノ、歌おう

 ふたりでセネカの死を喜び、その後ポッペーアの美貌を讃えるのですが、突然 甘美でエロティックになるのです。
 特に好きな部分はここ!
 その恍惚たる美しさはフィナーレのポッペーアとネローネによる愛の二重唱に匹敵するほど。

  Bocca, bocca, che se ragiona o ride    その唇は話す時も笑う時も
  Con invisibil arme punge, e all'alma   見えない武器で魂を突き
  Dona felicitá, mentr'ella uccide.     殺しながら 幸せを与える


 しかし 何かおかしい…。ルカーノが歌う間、ネローネは ahi, ahi, destin と感じ入った声を何度も上げる。

 彼らは交わりあっているのではないか!?!?!?
 ネローネはポッペーアを愛し、彼女を讃えながら、ルカーノと男色を楽しんでいる!?

 調べてみますと、実際のネロ帝もなんと2度、男と結婚していました。しかもその中の1度は自分が女として!

 愛が支配するこの世の複雑な綾。愛とは何か、善悪とは何か。

 愛に生きる人間の姿をこれほど仮借なく描き出したオペラが他にあるでしょうか。

 このような素晴らしいオペラがその黎明期に作られたことに驚嘆するばかりです。

    
     優れた演奏のひとつ ガッリード指揮アンサンブル エリマ盤 (K617)
     いかにも やんちゃっぽいアモールが印象的なジャケットです。
author:, category:♪この曲の♪ここが好き♪(百曲一所), 23:43
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