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いろとりどりの歌 第42曲「有馬山」

 第42曲は 第五十八番
 ≪有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする≫ 大弐三位 (後拾遺・恋)

 有馬山は 摂津国有馬郡 (兵庫県神戸市北区) 有馬町付近の山。猪名の笹原は 摂津国川辺郡 (兵庫県伊丹市) 神崎川の上流 猪名川両岸の笹原。両者はセットで詠まれることが多いとのことです。
 それら歌枕を含む上の句が「そよ」を言い起こす序詞。
 「そよ」は「そうよ」。つまり「いでそよ」で「さあ それですよ、まったくそうですよ」というような意味。

 − 有馬山の風が猪名の笹原を吹き渡ると、笹の葉がそよいで そよそよと鳴る。その「そよ」ではないけれど、会えなくて心配とのこと、まったくそうですよ、むしろ わたしが言いたいこと。わたしはどうしてあなたを忘れるようなことがありましょうか −

 後拾遺集にある詞書は −かれがれなる男のおぼつかなくなど言ひたりけるによめる

 「かれがれ」は「離れ離れ」。「おぼつかなし」は「気がかり・心配だ」
 「会えないので あなたが心かわりしないかと心配でならない」と彼が言ってくるので、それに対して詠んだ歌ということです。

 会えなくなったのは男の浮気のせいで、とりあえずキープしておきたいために言ったことなら ひどいヤツですね。
 しかし仕事の関係で離れ離れになってしまったなど 仕方のない理由で会えないという可能性もありますか。

 通い婚の時代、訪ねてくるのは男の役目なので、会えなくて心配だと言いたいのは私のほうですわ ということで「いでそよ」を強調したいのは解る。
 しかしそれを言い起こすための上の句は もひとつ説得力がないような気がするのは私だけでしょうか。
 同じ長い序詞でも 「足びきの」 (伝 柿本人麿) のように ヤマドリが夫婦別々に寝るという伝説があって ひとり寝の寂しさに使っているということで ウマイ!となるわけですが、単に「そよぐ」のための猪名の笹原ではそうはならない。
 せめて男がそのあたり出身であるため読み込んだとかいう必然性がほしいところです。

 …と ずっと思っていたのですが、とあるサイトに「猪名の笹原は荒涼とした原野のイメージで読まれることが多い」とあるではありませんか!

 これだと 猪名の笹原は必然となる!! 「いでそよ」の意味も違ってくる!
 男を軽くなじる歌だと思っていたのが、もっと けなげな女心の歌に変わる!

 = 有馬山の風が荒涼たる猪名の笹原を吹き渡ると、笹の葉がそよいで そよそよと鳴る。便りをもらったわたしの気持ちもまったくそうですよ。どうしてあなたを忘れるようなことがありましょうか =
 これを「いろとりどりの歌」訳といたしましょう。
 大いなるヒントをくださったかたに感謝です。


 ところで現在 有馬山という山はありません。有名な有馬温泉街のすぐ南にある3つの山を有馬三山ということもあるようですが、さらにそのすぐ南側に高く連なる六甲山があります。
 一方 猪名の笹原は伊丹市ではないものの、有馬の北東方面に川辺郡猪名川町という地名がありますので このあたりのことだろうと思っていたのですが、ネットで調べてみますと、もっと南、JRや阪急の伊丹駅があるあたりのようですね。ここだと確かに伊丹市です。有馬のほぼ東となります。
 近くの東洋リノリュームの社内には 往時の様子を伝えるプレートが設置されているようです。


 大弐三位(だいにのさんみ) は紫式部の娘。本名 藤原賢子 (999-?)。
 紫式部同様 一条天皇の中宮彰子に仕え、その頃は越後弁(えちごのべん) と呼ばれていました。その後 藤原兼隆 (道兼の子) と結婚。1025年 親仁親王 (後冷泉天皇) の乳母に任ぜられました。
 1037年頃に高階成章(たかしなのしげあきら) と再婚。のちに彼が太宰大弐正三位となったため、彼女も大弐三位と呼ばれるようになりました。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 23:32
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