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いろとりどりの歌 第45曲「嘆きつつ」
 第45曲は、百人一首覚えたての時には 前回の「なげてとて」と混同しやすい「なげきつつ」を取り上げましょう。

 第五十四番
 ≪歎きつつひとりぬる夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る≫ 右大将道綱母 (拾遺集・恋)

 「ぬる」は「寝る」。それが判ると意味はわかりやすいですね。
 = 嘆きながらひとりで寝る夜の明けるまでの時間が どれほど長いかご存じでしょうか =

 右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは) (藤原道綱母) は平安時代中期の歌人 (936頃-995) で、有名な「蜻蛉(かげろふ)日記」の作者。
 藤原倫寧(ともやす) の娘。当時の三大美人に選ばれており (「尊卑分脈」)、才色兼備で有名だったようで、954年 藤原兼家と結婚。翌年 道綱を生みます。
 「蜻蛉日記」は結婚前後から21年間にわたり、兼家との結婚生活で体験した苦悩を書き綴った自叙伝風の日記で、平安女流文学におけるリアリズムの伝統の基礎を築いた作品として高く評価されています。

 拾遺集の詞書は −入道摂政まかりたりけるに門をおそくあけければ立ちわづらひぬと言ひ入れて侍りければ
 つまり、兼家が訪れてきた時にわざと待たせて門を開いたところ、兼家は「待たくたびれたよ」と言って入ってきたので、それに返した歌とあります。

 ところがこの歌の事情について「蜻蛉日記」では、
 道綱が生まれてまもなく兼家が町の小路の女に通い始めて、彼女のもとには訪れない日々が続いた。わけを知って激怒した彼女は、その数日後に訪れてきた兼家を迎え入れることを拒絶した上、翌朝 しおれた菊を添えて送ってやったのがこの歌とあるのです。

 かなり状況が違いますね。
 拾遺版では「夜の明くる間」と「門を開くる間」を掛けるという即興的な機智を知ると 明るい色調を帯びることになる。
 しかし蜻蛉版では強烈な嘆きと恨み。

 普通は「蜻蛉日記」が真実に近いのだろうと考えたくなりますが、その内容が真実とは限らないらしい となると、下手な考え休むに似たりですね。
 確かに蜻蛉版はドラマティックな「演出」を感じます。

 ***

 兼家は 右大臣師輔の三男、中納言忠平の孫 (929-990)。出世が早かったことで実兄 兼通の恨みを買い 兄の在世中は不遇でしたが、兼通の死後 右大臣となりました。
 その後 兼家は花山天皇を欺いて出家させると、円融天皇女御であった娘 詮子が生んだ懐仁親王を7歳で即位させます (一条天皇)。自らは摂政に就き、摂政の力が強大となる道を開きました。子息たちの昇進を強引におこない、やがて子の道長の時 一族の全盛期を迎えることになります。

 「大鏡」にみえる 花山天皇を出家に追い込む時の話はまるでマンガのよう。
 寵愛していた女御 忯子が急死したことで絶望していた花山天皇。花山天皇が退位すれば兼家の子 懐仁親王が即位することに。そこで兼家の三男 道兼が一緒に出家しましょう としきりに勧め、天皇はすっかりその気になってしまいました。
 986年6月のある夜、天皇は道兼とともに内裏を抜け出してしまいます。天皇と道兼は山科の元慶寺に入り、まず天皇が剃髪しました。次は道兼の番。しかし「出家する前の姿を最後に父に見せたい」と言い出して 去ってしまったのです。騙されたことに気付いた花山天皇。
 天皇の姿が消えて大騒ぎになっていた内裏。翌朝 中納言藤原義懐と権左中弁惟成が元慶寺に駆けつけた時には 後の祭りだったのです。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 23:43
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