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いろとりどりの歌 第46曲「忘れじの」
 第46曲は 第五十四番
 ≪忘れじの行末(ゆくすえ)まではかたければ今日を限りの命ともがな≫ 儀同三司母 (新古今・恋)

 作者の儀同三司母(ぎどうさんしのはは) は、式部大輔 高階成忠の娘 貴子 (?-996)。円融天皇の内侍となり、その後 中関白 藤原道隆の妻に。
 伊周(これちか)、隆家、一条院后 定子らの母。伊周の号 儀同三司から 儀同三司母と称されます。
 勅撰集入集は五首。漢詩が得意だったとのことです。

 儀同三司母の夫 道隆は、前回紹介した道綱母の夫 兼家の長男。母は道綱母ではなく 弟 道長同様 正室 時姫。
 道隆は大酒飲みで 朗らか、こだわらない性格であったようで、「大鏡」や「枕草子」などに 面白いエピソードが伝えられています。
 また 容姿端麗なうえ 気配りのできる人であったとのこと。

 この歌の詞書は −中関白通ひそめ侍りけるころ
 道隆が貴子のもとに通い始めた頃の歌です。

 = あなたは私をずっと忘れないと誓ってくれましたが それを将来まで望めるわけではありませんので、いっそ幸せの絶頂である今日で死んでしまいたいと思うのです =

 贈られた道隆にとっては 非常に重い歌でもありますが、正室として結婚しているのですから「忘れじ」は本気であったのでしょう。

 センティメンタルな歌と切り捨ててしまいたいところですが、当時の一夫多妻制の中、女性にとって恋愛はひたすら受身であるという事情があります。自由に恋愛を楽しめる現代とはまったく違うわけですね。そう考えると 心に響いてきます。

 <こよひさへあらばかくこそ思ほえめ今日暮れぬ間の命ともかな> 和泉式部
 <明日ならば忘らるる身にもなりぬべし今日を過ぐさぬ命ともがな> 赤染衛門
 ほぼ同時代に生きた女房歌人のよく似た発想の歌です。


 995年 道隆は病に伏します。関白を辞し、一条天皇に 息子 伊周の関白就任を希いますが かないませんでした。
 出家後 すぐに薨去。享年43。
 死因は 当時一般的だった疫病ではなく、暴飲暴食などからの糖尿病によると考えられているとのことです。

 道隆没後、関白となったのは 弟 道兼でした (花山天皇退位の策略で重要な役割を演じたことを 前回書きました)。
 息子の伊周と隆家は 叔父 道長との政争に敗れたうえ、翌年 ともに 花山院に矢を射掛けた罪 (花山院だと思っていなかったのですが) によって 伊周は大宰権帥、隆家は出雲権守と ふたりとも左遷されてしまいます。
 貴子はそれに同行することも許されませんでした。
 その後まもなく病を得て、悲嘆のうちに薨去することとなるのです。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:24
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