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いろとりどりの歌 第47曲「春過ぎて」

 前回の儀同三司母周辺の歌を紹介しようと思っていたのですが、本日の梅雨明け宣言を受けて、急遽 歌を変更いたしました。

 第47曲は 第二番
 ≪春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山≫ 持統天皇 (新古今・夏)

 持統天皇 (鸕野讃良(うののさらら)皇女) は第四十一代天皇 (645-702 / 在位690〜697)。父は天智天皇。
 657年 父の弟 大海人(おおあま)皇子の妃となります。672年 天智天皇が没すると、鸕野讃皇女の異母弟の大友皇子が跡を継ぎますが、大海人皇子は672年に壬申の乱を起こし、大友皇子 (弘文天皇) を倒して皇位につき、天武天皇となりました。
 皇后となった鸕野讃皇女は天武天皇を補佐、686年の天武天皇の死後は皇太子 草壁(くさかべ)皇子を補佐していましたが、草壁皇子も没した翌690年に持統天皇として即位。
 諸制度を整備して、律令国家の確立に努め、藤原京を建設して694年に遷都。697年に皇位を孫の文武(もんむ)天皇に譲りますが、太上(だいじょう)天皇として文武天皇の政治を助け、大宝律令が成立した701年(大宝1年) の翌年に没しました。

 そんな立派な女帝が作った、有名な歌。
 「万葉集」巻一の <春過而夏來良之白妙能衣乾有天之香來山> が原歌。
 この歌の第二句・第四句目の読み方は、現代では「夏来たるらし」「衣ほしたり」という形で定まっています。
 = 春が過ぎて夏がやってくるらしい。香具山に真っ白な衣が干されている =

 香具山は藤原京にほど近い (東南方向) 低山。
 「白妙の衣」とは白い栲(たえ) の布で作った衣。栲はこうぞ類の木の皮の繊維で織った布で、純白でつやがあったとのこと。
 初夏の陽光を反射した美しい白が、新緑の間にくっきりと見えたのでしょう。
 緑と白のコントラストが 鮮やかに脳裏に再現されます。
 万葉時代らしい明朗で素直な感動。


 しかし。平安時代の「万葉集」研究の過程で、この歌はさまざまな読み方がされていました。
 「来にけらし」「衣ほすてふ」という「新古今集・百人一首」の読み方もそのひとつというわけです。
 当然 意味が変わってしまいます。
 <春が過ぎて夏が来たらしい。香具山に衣が干してあるということだ>

 実際見ての歌ではなく、衣が干してあるという情報を人から聞いて、季節が変わったなと感じているという歌に。
 間違ったわけではなく、山部赤人の 「田子の浦に」 同様、新古今時代風に改変されたのかもしれませんね。
 「来たるらし」「ほしたり」とは情緒がおへんことですなぁ、しかも女帝ともあろうおかたが… と。
 平安時代の貴族の女性は御簾の中。
 直截な感動ではなく、伝聞からの想像という形で高雅にしたということなら、まさしく貴族趣味という感じですね。

 ***

 太陰暦では夏は四月から。太陽暦では ひと月ちょっとあとにずれていますので、現在の5月初めから。この歌は実はその時期に詠まれたもの。梅雨のずっと前なのです。
 千年前との大きな季節感のズレを改めて感じずにはいられません。
 2月4日の立春を考えてみても、ひと月半以上ずれている気がします。
 しかも現代は夏が長い。梅雨が終わると夏本番という感じですよね。
 でも昔は梅雨が終われば夏も終盤。ガッと暑くなったあと、七月 (現在の8月8日) からは秋となるのです。
 今の季節が、1000年前とはいわず200年前でも、夏の終わり (季夏) だったなんて信じられません。

 この歌、夏を感じる梅雨明けの時期に取り上げましたが、やはり 梅雨の前、「ひと月半後理論」によって 5月下旬頃に取り上げるべきだったと ちょっと後悔しております。

 同様に夏の終わりの藤原家隆の歌を いつ頃紹介すべきか悩むところですが、一度 太陰暦からひと月だけずらした そのままの時期に取り上げることにいたしましょう。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 10:57
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