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♪Questo♪Momento♪ 第37番「大理石のような空と冷酷な神」
 最近「オテッロ」のある部分が頭をグルグル駆け巡っています。

 というのも、ことの発端は2, 3ヶ月くらい前になりますか。TV番組「題名のない音楽会」で、素人が歌を歌うという企画があったのですが、「オイラも一度オケをバックに歌いたい!」と。
 次回ある時はチャレンジするぞ と。得意曲(?)「祖国の敵か」はとられてしまったので さて何を歌おうか と。
 時間が経つと、全国に姿をさらして ヘタな歌を披露する勇気はやっぱり出ないなぁ ということになるんですがね。

 けど 歌ってみたいという気持ちは時々ポッと湧きあがってきて、考えているうちに 一番歌いたいのは「オテッロ」の第2幕幕切れの二重唱だなぁ と。

 「オテッロ」は若き日、私をイタリア・オペラにどっぷりとはまらせる決定打となった曲。
 オテッロとイャーゴのパートを、デル モナコやゴッビの真似をしながら一所懸命に覚えたものです。
 特にドラマティックな第2幕幕切れの二重唱は大好きで、その後半 同時にふたつのパートが歌えないことをもどかしく感じながらも覚えたものでした。

 ひとりで歌えないし、オテッロのパートを誰かに頼むというわけもいかないので (オテッロはプロでも大変なドラマティコですからねぇ)、無理なんですが、ここのところ頭を離れないわけです。
 今回 の「百曲一所」はこの曲以外考えられなくなっていました。

 ***

 「オテッロ」はシェイクスピアの悲劇「オセロゥ」に基づくヴェルディ最後から2番目のオペラ (台本=ボーイト)。最後は喜劇の「ファルスタッフ」ですので、最後の悲劇。
 イタリア・オペラが歌によるドラマを追求してきて ついに到達した境地。イタリア悲劇オペラの最高峰です。

 「オテッロ」の前の「アイーダ」は1871年初演ですが、ヴェルディ「オテッロ」を書き始めたのはそれから10年もあとのことなのですね (1987年初演)。
 レクィエム (1874年初演) を書いた後 引退同然だった大作曲家を なんとか奮い立たせたリコルディ社のジューリオ・リコルディに、オペラ・ファンは感謝せねばならないでしょう。
 それと その後さらに「ファルスタッフ」を書くことができたヴェルディの長寿と健康にも (88歳まで存命)。

 簡単なあらすじをば。
 舞台は15世紀頃、ヴェネツィア (ヴェネト共和国) の領地キプロス島。
 北アフリカ出身の黒人 (ムーア人) オテッロは ヴェネツィアの傭兵として功績を挙げ、将軍、キプロス島総督にまで昇り詰めた。そして美しい白人の娘デズデーモナと結婚。
 しかしそんな幸福もつかの間、オテッロは直情的な性格、肌の色・年齢のコンプレックスから、彼に恨みを持つ 旗手イャーゴの策略にまんまとはまってしまい、デズデーモナが副官カッシオと密通していると思い込んでしまう。
 オテッロはデズデーモナを自身の手で殺して復讐を遂げる。
 しかしその後 イャーゴの奸策が露見、オテッロは自刃する。

 ***

 さて 第2幕幕切れの二重唱は、イャーゴがオテッロに、カッシオが寝言でデズデーモナとの愛を語っていたとか、カッシオがデズデーモナのハンカチを持っていたとか ウソを言い、ふたりの密通を信じさせ、オテッロが復讐を誓う場面。
 イャーゴは忠臣のふりをする、偽りの友情の二重唱になっているのです。

  OTELLO
 Si, pel ciel marmoreo guiro! Per le attorte folgori!              
 Per la Morte e per l'oscuro mar sterminator!
 D'ira e d'impeto tremendo presto fia      
 che sfolgori questa man ch'io levo e stendo!                 
  そうだ 冷酷な神かけて誓う!  鋭く光る稲妻にかけて!
  死にかけて、荒れ狂った暗い海にかけて! 
  すさまじい激情や怒りは、この手を すぐさま振り上げ、打ちのめす武器へと変えるだろう!


  IAGO
 Non v'alzate ancor! Testimon è il Sol ch'io miro,
 che m'irradia e inanima l'ampia terra e il vasto spiro
 del Creato inter, che ad Otello io sacro ardenti,
 core, braccio ed anima s'anco ad opere cruenti s'armi il suo voler! 
  まだ立たないでください! 証人は 私を見つめ、照らし、生かせる太陽、
  広大な大地、全生命の限りなき息吹
  オテッロ様に喜んで捧げよう 私の心、腕、魂を
  血の仕事に専心する 意思を固められるために


  IAGO, OTELLO
 Si, pel ciel marmoreo guiro!  そうだ 冷酷な神かけて誓う!
  (OTELLOの部分の歌詞をふたりで歌う)
 Dio vendicator!        復讐の神よ!


 この部分の管弦楽がともかく素晴らしい!
 愚かな復讐、偽りの友情、悪の企み。熟練の手法によって、それらによるふたりの高揚感を表しています。
 もはや伴奏を超えているような。
 ドラマティック・オペラのエッセンスという気がします。

 ***

 長い余談を。

 「オテッロ」の歌詞対訳は、定盤のカラヤン、デル モナコの「オテッロ」(DECCA) をはじめとして、昔から とある女流訳者のものが多く使われていますが、難しい日本語が多すぎます。

 ciel marmoreo を「大理石のような空」と訳しているのは まぁ不問にするとして、私が「すさまじい激情や怒りは…」と訳した部分、その訳者は
 「わしが挙げたり、差し伸べたりするこの手が激しい怒りと恐ろしい衝動にまもなくきらめき輝くだろう」。−ムツカシイ…。
 まぁ 元が難解な詩で おそらくイタリア人でも難しい言葉でしょう。私も意訳しています。
 でも変な訳の最大の要因は sfolgorare を「強く輝く」と訳しているからです。
 「すばやく動く」という意味 (稀な用法のようですが) に気付かないと。
 その訳者の時代には、詳しいイタリア語の辞書がなかったのでしょうか。

 しかし もっと簡単な文章でも難解な訳はあるんですね。
 たとえば 上記の歌詞の前に出てくる部分。

 Ah! Mille vite gli donasse Iddio! Una è povera preda al furor mio!

  ああ! 神よ限りなき生命を彼に与えたまえ! 一つでは私の怒りに対して貧しい餌食です!

 判りにくい日本語です…。

  神よ 奴に千の命を与えたまえ! 私の怒りの餌食とするには ひとつでは足りない!

 つまり、何度殺しても足りないくらい憎い ということを言っているのですが、povero を「貧しい」と訳すからおかしくなる。
 povero には「貧しい・みすぼらしい・哀れな」とともに「乏しい」という重要な意味があることは、イタリア語の専門家にとっては基本中の基本であるはず。

 不思議です。
 こうしたあやしい訳が何十年も使われ続けていることともに不思議です。
author:, category:♪この曲の♪ここが好き♪(百曲一所), 16:51
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