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いろとりどりの歌 第48曲「夏の夜は」

 暑い日が続きますね。
 先日から 体のあちこちが痒いなと思っていたのですが、山歩きをした後、日焼けした うなじがひどく痒い。翌日には ただれたようになってしまいました。
 薬のおかげで今はほとんど治まり ほっとしているところですが、おそらく あせもが日焼けで悪化したのでしょう。
 あせもは 夜寝ている時 汗を拭くことができないことが原因ではないかと思います。
 扇風機、天花粉、、、また悪化しないように工夫しないといけません。

 前回 昔と現代では季節感がかなりずれてきているという話を書きましたが、自然と寄り添っていた昔の夏の夜は 過ごしやすかったことでしょう。
 昼の気温も現代に比べればたいしたことがなかったに違いありません。
 しかし かわりに 冬の寒さは死に直結していたでしょう。

 いや 現代でも 岐阜の実家の夜など、骨まで染み入るような寒さを感じたりしますが、大阪のマンションは暖かいっすわ。その分 夏が暑いわけですなぁ。

 閑話休題。
 百人一首に夏の歌は四首。その二番目、当コーナーにとっても前回に続いての二首目を紹介いたしましょう。

 第48曲 第三十六番
 ≪夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ≫ 清原深養父 (古今集・夏)

 = 夏の夜はまだ宵のうちと思っている間に明けてしまう。こんなに短かくては 月は西の山に行き着くひまもないだろう。雲のどのあたりに宿をとるのだろうか =

 古今集の詞書は −月のおもしろかりける夜あかつきがたによめる

 つまり夜がすっかり明けてしまって、過去形で「雲のどのあたりに隠れたのだろうか」ではないのですね。
 暁がた、夜が早くも白々と明けてきた時の歌。まだ月はかかっているのです。

 この微妙な時間感覚がいいですね。
 明けてしまっての過去形だったら陳腐。

 定家はこの歌を本歌として 四首も詠んでいるとのこと (もっとある?)。

 <夏の月はまだ宵の間とながめつつぬるや河辺のしののめの空>
 <宵ながら雲のいづことをしまれし月をながしと恋ひつつぞぬる>
 <折しもあれ雲のいづらに入る月の空さへをしきしののめの途>
 <山路ゆく雲のいづこの旅まくらふすほどもなき月ぞあけゆく>

 定家は本歌の 夏の夜の短さに美しい月を惜しむ気持ちとともに、微妙な時間感覚を愛したのでしょう。
 長くて自由な山旅をしたいと思いながら なかなか勇気が出ない私は 4つめの歌などキュンときます。

 それにしても昔はよく月を愛でたのですね。
 月の美しさは重要な楽しみ、慰みだった。
 部屋を閉め切ってクーラーをつけ TVを夜通し見るというような楽しみとはエライ違いです。

 ***

 清原深養父(きよはらのふかやぶ) は平安時代中期の歌人 (生没年不詳)。琴の名手であったと伝えられています。
 孫に 清原元輔。ということは すなわち、曾孫に 清少納言

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:25
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