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いろとりどりの歌 第52曲「立ち別れ」

 2週間ぶりのブログ更新となりました。
 ふたつのキャンプ登山のことで頭がいっぱいで なかなかブログのことを考える気になれなかったのですが、天気の関係で ふたつ目の9月5日からのキャンプ登山を延期にすることを決めたことで、ふと書く気が湧いてきました。

 第52曲は 第十六番
 ≪立ち別れいなばの山の嶺に生ふるまつとし聞かば今かへりこむ≫ 中納言行平 (古今集・離別)

 因幡 (鳥取県) の国守となって赴任する際、別れを惜しむ人をなぐさめて言い残した歌。
 在原行平が因幡守に任命されたのは855年1月、行平は三十歳でした。

 歌は技巧的で複雑。
  立ち別れ往なば
      因幡の山の嶺に生ふる
                待つとし聞かば今かへりこむ

 = 京を立ち 君と別れて 因幡国へ行くが、君の「待っている」という言葉を聞いたならば すぐに帰ってくるよ =
 「因幡の山の嶺に生ふる松」を訳に無理やり入れるのはやめておきましょう。

 稲羽山は 鳥取県岩美郡国府町付近の249メートルの山とのこと。松の名所だったようです。現在「国府」という町名ということは、行平が勤めた官庁の近くにあったのでしょうか。

 
 在原行平 (ありわらのゆきひら) は、平安時代前期の歌人・公卿 (818-93)。平城(へいぜい) 天皇の第一皇子である阿保(あぼ) 親王の次男。かの在原業平の異母兄。
 826年 業平とともに在原朝臣姓を与えられて臣籍降下。
 855年 従四位下に叙せられると同時に因幡国守に。−2年ほどで帰京。
 887年 七十歳で引退。最終官位は正三位・中納言。
 仁明から光孝まで五代の天皇に仕え、民政に手腕を発揮した有能な官吏だったということです。

 ただ 理由は定かではないものの、文徳天皇の時 須磨に蟄居を余儀なくされたという話が伝わっています。(源兼昌の 「淡路島」 でチラッと触れました)。

 <わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ> という歌も伝えられています。
 − 万が一わたしのことを尋ねる人があれば 須磨の浦で海藻が水を垂らすように 涙を流しながら侘びしく暮らしていると答えてくれ − ※「わくらば」は「病葉」ではなく「邂逅」

 謡曲の「松風」は 百人一首の行平の和歌や、須磨蟄居などを題材としたもの。

 また なんでも「雪平鍋」は、行平が語源とする説もあるようですね。行平が海女に海水を汲ませて塩を焼いた故事に因むとのこと。まさしく謡曲「松風」ですね。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:20
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