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いろとりどりの歌 第53曲「名にし負はば」

 第53曲は 第二十五番
 ≪名にし負はばあふさか山のさねかづら人に知られでくるよしもがな≫ 三条右大臣 (後撰集・恋)

 「さねかずら」はマツブサ科 (以前はモクレン科とされていましたが 改められたようです) のつる植物。山野で見られますが、赤い果実が美しいことから庭園に植えられることもあります。樹皮に多量の粘液物質を含み、昔はそれを湯で抽出して整髪料に用いたので ビナンカズラ (美男葛) の別名も。万葉の時代から歌に詠まれていました。
     

 「名にし負はば」は「その名を持っているのならば」という意味。
 「くる」は「繰る (たぐり寄せる)」と「来る」の掛詞。

 = 人に知られることなく つるを引っ張ってたぐり寄せることができる逢坂山のさねかずら。「逢ふ・さ寝」という言葉を持っているのだから、私たちも人に知られないで逢いに来る方法があればいいのだが =

 詞書は −女につかはしける。
 おそらく さねかずらのつるに結んで贈った歌でしょう。

 ジュリーではありませんが、昔は「男はピカピカのキザでいられた〜」という感じですね。
 こんな技巧的な歌を作るのにどれほどの時間を費やすのでしょう。できた時の満足感は大変なものであったでしょう。 −相変わらず 恋歌にきびしくて恐縮ではございますが。

 「名にし負はば」には、もうひとつ有名な歌がありますね。
 <名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと>
 その名を持っているのなら 都鳥よ、お前に尋ねるが、都に残してきた私の愛するあの人は生きているのかい?
 在原業平の歌。古今集に収められています。「伊勢物語」第八段にも登場しますね。
 都鳥とはユリカモメのことと考えられているようです。

 ***

 三条右大臣(さんじょうのうだいじん) は 藤原 定方(ふじわらのさだかた)。平安時代前期から中期にかけての公家・歌人 (873-932)。内大臣 藤原高藤の次男。醍醐天皇の外叔父。官位は従二位・右大臣、贈従一位。三条に邸宅があったので三条右大臣と呼ばれました。


 ちなみに。
 「三条」は 歴史的かなづかいだと「さんでう」なんでね。
 歴史的かなづかい「じゃう (上など)・ぜう(饒など) ・ぢゃう (丈など)・でう (条など)・でふ (帖など)」は、そのままの「じょう (冗など)」を含め、現在ではすべて「じょう」と表記・発音しています。これでは同音異義語が多くなるのも仕方ないという感じですね。
 そうした統一は しぜんと徐々におこなわれたのでしょうか。

 しかし「じゃう」と「ぢゃう」はどう違ったのでしょう。「ぢゃう」は「でぃゃう」という感じでしょうか?
 平安時代は話すスピードが相当遅かったということですが、ゆっくり話さないと発音の細かな違いを聞き分けられない ということもあったのでしょう。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 20:13
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