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いろとりどりの歌 第54曲「秋の田の」
 部屋の中ではまだ扇風機が活躍しているとはいえ、ベランダに出ると朝晩の空気は冷たく。日中の陽光も優しくなってきました。
 秋の歌十六首のうち、昨年取り上げなかった 残りの九首をどんどん紹介していきましょう。

 まず百人一首第一番目の
 ≪秋の田のかりほの庵(いほ) のとまをあらみわがころもでは露にぬれつつ≫ 天智天皇(後撰・秋)

 「かりほ」は「仮庵」で 仮設の小屋。「仮庵の庵」と語を重ねているのは 調べを整えるためとのこと。
 家から離れた田んぼの近くに建てられた小屋。農繁期にだけ使われるため粗末で、屋根を葺く「とま」(菅(すげ) や萱(かや)を編んだもの) も荒い。
 「とまをあらみ」は「とまが荒いので」という “慣用的歌語表現” とのこと。

 = 秋 刈り入れの季節。田小屋の屋根の苫は目が粗いので 私の袖は露に濡れる =

 秋の田んぼ、その脇に建つ小屋、その屋根と、イメージのズームは徐々に狭まっていき、その後 小屋の中へ。
 更けゆく夜。冷たい風は時に強く吹き、容赦なく粗末な小屋の中に入ってくる。疲れた体、家族と離れ離れの寂しい気持ち。次第に露に濡れてくる袖…。


 天智天皇 (中大兄皇子) (626〜671) は 舒明(じょめい)天皇の皇子。母は斉明天皇。菟野皇女 (持統天皇) らの父。
 645年(大化元年)、藤原鎌足らと共に蘇我入鹿を討ち、叔父の孝徳天皇のもと、皇太子として改新政治に参与。
 孝徳天皇崩御後 母 斉明天皇が即位。661年 百済救援のための新羅征討に中大兄皇子も同行しますが、天皇崩御。
 その後長い間 皇位につかず 称制としていましたが、663年に白村江の戦いで大敗を喫した後、667年に近江大津宮へ遷都し、翌年 ついに即位しました。
 669年、日本最初の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成。翌年 大友皇子 (のちの弘文天皇) を史上初の太政大臣に任命し、同年 崩御。四十六歳でした。

 万葉に御作と伝わるのは四首。
 後撰集に選出されたこの歌は百人一首にも採られ 大変有名ですが、実は天智天皇のものではありません。
 万葉集巻十の歌 <秋田苅る借廬(かりほ)を作り吾が居れば衣手寒し露ぞ置きにける> という作者不明の歌をもとに改作されたものとのことです。

 ***

 ところで わたくし、ついにキャンプ登山に狂いかけているという感じなんでございます。
 来月、奈良東端 三重の県境に位置する三峰山という山をキャンプ1泊で登ろうかと考えているのですが、気がかりはテントで過ごす夜。
 10月の標高1200メートルのテント泊はそれなりに寒いことでしょう。テント内は露に濡れるかもしれません。
 しかも 家から遠く離れた山の上で、おそらくひとり。

 そんな心細さにちょっとビビっている時に選んだのがこの歌。

 ああ いにしえの時代の農夫よ…。

 わたしゃ 酒でもくらって、さっさと寝てしまうことにいたしましょう。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 23:51
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