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いろとりどりの歌 第55曲「月見れば」
 第55曲は 第二十三番
 ≪月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど≫ 大江千里 (古今集・秋)

 9月30日は中秋の名月でした。
 今でも すすきを飾って 月見団子や里芋などを盛り、お酒を供えて、月を眺める というような風流なおうちはあるのでしょうか。
 私は子供の時でも 家でやったり、あるいは やっているおうちを見たりした記憶はがないんですよね。
 思い出そうとしても アニメ「サザエさん」が出てくるのみ というありさまです。

 街では月はほとんど意識されるものではなくなってしまいました。
 そりゃそうですよね。人工的な明かりで満たされているのですから。
 しかし 山の中でキャンプをすると、夜には月がしぜんと意識されます。
 静かに冷たい光を放つ月。
 光があることの安心感とともに、改めて その神秘的な美しさに気付かされます。

 平安時代、ちょうど中国から仲秋の十五夜の月見の祭事が伝わり、貴族の間で観月の宴が盛んに催されるようになりました。
 月を詠んだ歌は多く、百人一首でも十一首が月の歌です。

 そういえば、藤原道長が自分の権勢の絶大さを歌った有名な歌 <この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば> も一応 月ですね。


 さて大江千里の歌。
 −是貞の皇子の家の歌合によめる
 = 秋の月を見ていると あれやこれやと心は乱れ、さまざまなことが悲しく感じられる。私ひとりに秋がやってきたわけではないけれど =

 「わが身ひとつの…」以下の独白のような表現がこの歌の面白みかな ということはすぐに感じられることだと思いますが、もう少しじっくり鑑賞してみると「千々」と「ひとつ」の対比があることがわかります。

 しかし 難波喜造氏が この「千々」と「ひとつ」の対比について さらに突っ込んだ 大変興味深い指摘をしています。

 というのも、同じ「古今集」に
 <白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢに染むらむ> 藤原敏行
 <ちぢの色にうつろふらめど知らなくに心し秋の紅葉ならねば> 読み人知らず
 という歌があるように、秋は木の葉を千々に染めるという一般的な表現があったというのです。
 「秋−千々」「月−ひとつ」という常識的な感覚がある中、この歌は「月−千々」「ひとつ−秋」と逆転させている。
 そうした妙味あるのではないか というのです。

 大いに納得するところであります。

 ***

 大江千里(おおえのちさと) は平安時代前期の学者・歌人。生没年不詳のよう。
 阿保親王の子 参議大江音人(おとひと) の子。ただし音人の子 大江玉淵の子とする説もあるようです。
 音人は清和天皇の学問の師で 優れた学者だったようですが、千里はあくまで和歌の人だったようです。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 23:29
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