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いろとりどりの歌 第56曲「秋風に」
 もうひとつ月の歌を。

 第56曲は 百人一首第七十九番
 ≪秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月のかげのさやけさ≫ 左京大夫顕輔(新古今集・秋)
 −崇徳院に百首歌奉りけるに

 = 秋風が吹き たなびく雲の切れ目からもれる月の光の なんと冴え冴えと鮮やかなこと =

 「たなびく雲」は 薄く長く広がっている雲。
 ただ 和歌においては「層雲」または「層積雲」を指していた という説があるようです。

 WIKIPEDIAによると「層雲」は、最も低い所に浮かび、灰色または白色で、層状あるいは霧状の雲のこと。輪郭はぼやけていて、厚みや色は一様であることが多いが、ちぎれて独特の形になる場合もある とあります。
 一方「層積雲」は 大きな塊が群れをなし、ロール状、斑状、層状などと形容される集まり方をした雲 とあります。モクモクとした分厚い雲の画像。

 えらく姿の違う雲を、本当にどちらも「たなびく雲」と言っていたのか疑問を感じるところですが、ともかく この歌でイメージされるのは層雲のほうですね。

 ゆっくりと動いている薄いちぎれ雲。秋風に押されているわけではないものの、そう感じられるということなのでしょう。
 夕方でしょうか、夜でしょうか。

 素直な歌ですが、神秘的な美しさを喚起させます。

 なお もとは「久安六年御百首」の歌ですが、そこでは第二句が「ただよふ雲の」であるそうです。

 ***

 左京大夫(さきょうのだいぶ) 藤原顕輔(ふじわらのあきすけ) は 平安時代後期の公家・歌人 (1090-1155)。修理大夫 藤原顕季の三男。最終官位は正三位。

 父 顕季(あきすえ) は、母が白河院の乳母であった縁で白河院の近臣に。
 白河院は摂関体制の排除を目指し、摂関制下では不遇であった諸源氏、あるいは藤原家の傍流を登用して政治にあたりました。
 また延喜・天暦の古例にのっとって、礼・楽・和歌の興隆に力を入れ、歌合などにも近臣をあてて 摂関家の影響を断ち切ろうとしたのです。
 そうした歌壇の代表が 藤原道俊、顕季。
 堀川天皇の即位によって 白河院政が開始されると、顕季が中心となって仙洞歌壇を形成し、堀川天皇の宮廷や後宮の賀宴と直結した歌人グループとは別に、歌合・歌会を催していったのです。

 顕季は 政治的地位を長男と次男に、和歌の地位を三男 顕輔に相伝するという方法をとりました。
 このことが 和歌が政治的な制約を離れ、純粋な文芸として発展する機運となったのです。

 歌の将来を託された顕輔。どういう理由からか 讒言によって白河院から昇殿を止められるという苦難もあったようですが、白河院が崩じたのち、崇徳院后聖子に仕えることとなり、再び昇殿を許されたそうです。
 そんな彼の最も重要な業績は 崇徳上皇から命を受け、1151年 (仁平元年)「詞花和歌集」を完成させたこと。 
 そして顕輔は子らに歌を教え、歌の六条家が確立していくことになりました。

 金葉和歌集以下の勅撰和歌集に八十四首が入集しています。
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 23:56
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