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いろとりどりの歌 第57曲「ながらへば」

 第57曲は 百人一首第八十四番
 ≪ながらへばまたこのごろやしのばれむうしと見し世ぞ今は恋しき≫ 藤原清輔朝臣 (新古今集・雑)

 今回は秋の歌ではなく、前回の左京大夫顕輔の息子 清輔の歌を。

 = 生き長らえれば 今この辛い時も懐かしく思われるのだろう。昔 辛いと思った頃のことが今では恋しく思われるから =

 藤原清輔は顕輔の次男 (1104-77)。どういう理由からか 弟の重家や顕昭と比べて 父からあまり愛されなかったため 苦しんだとのこと。四十代後半になるまで従五位下の地位に留まったのも、父からの後援を得られなかったためと考えられているようです。
 しかし歌人としての名声は次第に高まり、1150年(久安六年) 崇徳院主催の「久安百首」に参加するなど功績を上げ、1155年の父の死後、歌道師範家 六条家を継ぐことになります。
 その後 二条天皇の勅を受け「続詞花集」を編纂していましたが、1165年 天皇は崩御。同年 私撰集として完成することとなりました。
 最終官位は正四位下。千載集以下 勅撰入集九十六首。

 この歌、新古今集では「題しらず」になっていますが、「清輔集」の詞書には「いにしへ思ひ出でられけるころ三条大納言いまだ中将にておはしける時つかはしける」とあります。
 この「三条大納言」は藤原実房を指すとされていましたが、その後 藤原公教とする説が現われました。どちらであるかによって作歌の年代が大きく変わってきます。
 つまり実房だとすれば 清輔は60歳前後、公教だとすれば 30歳前後。

 現在では「公教説」を是とするほうが優勢だと思いますが、これだと 父に愛されないことの辛い心境を吐露した歌ともとれるように。

 凝ったところのない歌は 素直な心境を表わしているように感じられますね。
 また いつの時代でも多くの読み手に共感を与えそうという気もします。

 ただ 三条院の 「心にも」 に似ているのがねぇ…。
 二番煎じとケチをつけるわけではありませんが、やはり 天皇のあの心に迫る絶唱を超えるものではありません。
 …
 いや 訂正いたします。
 「心にも」はあくまで天皇の歌ですが、この歌は 誰もが自分のことに重ね合わせられるという長所があるのではないか。
 ふと そう思うようになりました。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:36
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