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いろとりどりの歌 第61曲「きりぎりす」

 11月7日が立冬ですので もうすでに暦の上では冬。もう幾日で小雪(しょうせつ) になるというところですが、(関西の) 田舎のほうではちょうど夜に霜が降り始める頃でしょうか。

 第61曲は 第九十一番の
 ≪きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む≫ 後京極摂政前太政大臣 (新古今・秋)

 「きりぎりす」は現在のこおろぎ。
 「さむしろ」は「霜夜の寒し」と受け「さむしろに衣かたしき」と下に続ける掛詞。「むしろ」はわらやすげなどで編んだ粗末な敷物。
 「かたしき」は自分の衣だけを敷くこと。恋人と一緒に寝る時は ふたりの衣を重ねて敷く風習があったので「かたしき」はひとりで寝ることを表わします。

 = こおろぎが鳴く、霜の降りる寒い夜。むしろに自分の衣だけを敷いてひとり寝るのだ =

 秋の終わり、立冬の前に霜降 (現在の10月終わりから11月はじめ) がありますが、これはその頃の歌でしょう。
 寒さ厳しい夜、ひとり寝の寂しさ。すぐには寝つけず、こおろぎの鳴き声が悲しく聞こえてくるのです。

 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん) は 藤原良経(よしつね) (1169-1206)。
 「わだの原漕ぎ出でて…」が百人一首に採られている法性寺摂政太政大臣 忠通の孫。後法性寺関白兼実の二男。母は藤原季行の娘。「おほけなく」 の慈円 は叔父。
 1185年 従三位に叙され 公卿に列してから 急速に昇進。1188年に兄 良通が死去した後は 九条家の跡取りとなります。苦難の時もあったようですが、1202年からは後鳥羽院の信任を得て 摂政に任ぜられ、1204年 従一位摂政太政大臣。翌年に大臣を辞したあと三十八歳で急死しました。
 幼少期から学才をあらわし 漢詩文に優れていた良経。藤原俊成を師とし、従者の定家からも大きな影響を受けた和歌でも早熟で、後に歌壇の中核的な位置を占めました。
 1201年には寄人筆頭となって「新古今和歌集」撰者に。仮名序の執筆もおこないました。
 千載集初出、勅撰入集計三百二十首。新古今集では西行・慈円に次ぎ 七十九首が収録されています。
  自撰の家集に「式部史生秋篠月清集」。

 この歌の詞書は 百首歌たてまつりし時。
 1200年 (正治二年)、後鳥羽院初度百首の時の歌とのことです。
 すでに政権は武士の手に移ってしまっているとはいえ、後に摂政太政大臣として官位を極める作者の現実ではないでしょう。
 柿本人麿の 「足びきの」 を本歌として 想像で作り上げた歌というわけです。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 19:37
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