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いろとりどりの歌 第65曲「みかの原」

 第65曲は久しぶりに恋歌を。百人一首第二十七番の
 ≪みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ≫ 中納言兼輔 (新古今・恋)

 みかの原 (瓶原) は山城国 (京都府) 相楽郡にあります。元明天皇以来の離宮があり、聖武天皇は一時 ここに久邇(くに)宮を営まれました。「枕草子」には「原はみかの原、あしたの原、その原」とあるとのこと。
 一方「いずみ川 (泉川)」は今の木津川。宇治川、桂川と合流して淀川になります。水源を伊賀国 (三重県) に発し、西に流れて山城国相楽郡に入り、みかの原を貫いて木津の西で北に折れ、巨椋(おぐら)池に注ぐまでを 昔は泉川と言ったそうです。

 みかの原は泉川の両岸にまたがる地。つまりみかの原をふたつに分けて流れているので、「みかの原を分きて流れる泉川」と歌っているのです。
 「わきて」は「分きて」に「湧きて」の意味もかけ、「泉」の縁語としています。
 そして ここまでが「いつ見き」を言い起こす序詞になっているのです。
 「いずみ川いつ見き」と同音の反復を利用するのは序詞を使う場合に常用された手段のひとつ。

 序詞の部分を別にすると 意味は
 = いつ見たからといって これほど恋しいのだろうか =

 ちょっと意味がわかりにくいですが、もともとはひとつであった みかの原が泉川に分けられてしまっていることをイメージさせたうえということですので、逢えなくなってしまって長く経つのに なぜ今でもこんなに恋しいのか、という意味でしょう。

 しかし「いつ見き」に関しては 昔から 未だ逢はざる恋なのか、逢ふて逢はざる恋なのか、解釈が分かれるところなのだそうです。

 未だ逢はざる恋、つまり 逢ったことがないのに恋しい というのは分かりにくい話ですが、千年前の貴族社会にはあったということなのでしょう。
 その意味だとすると「みかの原を分きて」ではなく「みかの原に湧きて」の意味が主ということになりますね。
 しかし 「未だ逢はざる恋」なんて 現代ではなかなか共感できないですよね。

 藤原兼輔(ふじわらのかねすけ) は平安時代中期の公家・歌人 (877-933)。右中将利基の子。三条右大臣定方は従兄。邸が賀茂川に近かったことから堤中納言と呼ばれました。
 紀貫之凡河内躬恒らと親しく交流し、醍醐朝の和歌隆盛期を支えました。
 家集「兼輔集」。古今集四首をはじめとして勅撰入集計五十八首。

 なおこの歌、「古今和歌六帖」の「川」の項で、兼輔の歌のあとに読み人しらずで掲載されており、おそらく兼輔の作ではないとのこと。

 そこで 兼輔の代表作をひとつ
 <人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな>
 現代語訳を必要とせず、また現代人にも充分響く歌ではないでしょうか。

 ***

 ところで 巨椋池の名を出しましたが、その名を知る人は京都の人でも少なくなってきているでしょうか。
 現在 京都市伏見区の南部から宇治市の西部、久御山町の北東部にかけて広大な田んぼが広がっていますが、今から七十年ほど前まで、巨椋池という巨大な湖が存在していました (京滋バイパスの巨椋インターにその名をとどめています)。
 京都盆地の最低地であった巨椋池には 北から桂川、南からは木津川、東からは宇治川の流れが集まり、巨椋池で合流し、淀川となって大阪湾へと注いでいたのです。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 11:49
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