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いろとりどりの歌 第67曲「かささぎの」

 久しぶりの更新となりました。新年一発目のいろとりどりの歌。

 ≪かささぎのわたせる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける≫ 中納言家持(新古今・冬)

 六首ある冬の歌、最後の紹介となりました。万葉時代のもので、冬の歌のなかでは2番目に早く作られたもの。
 とはいえ、歌の解釈は大きく割れていて、夏の歌にもなりうるという特異な歌です。

 と申しますのも「かささぎのわたせる橋」とは七夕伝説によるもので、雨が降り増水してしまって 牽牛(彦星) と織女(織姫) が天の川を渡れない場合、かささぎが翼を並べて天の川に橋を架け、ふたりの逢瀬を助けるという話によっています。

 かささぎの橋が星のことを表わしているとすれば、 わし座の1等星アルタイル(牽牛星) と こと座の1等星べガ(織女星) の輝く時期に「霜」とはどういうことなのだということになりますが、星のきらめきのたとえだというのですね。

 つまり ---
 − かささぎが天の川に架けた橋に霜が置いているかのように星々がキラキラと輝いている。夜もすっかり更けてしまった − という解釈。

 しかし 夏の夜の星の輝きを霜でたとえるものなのか? どうも納得いきません。

 やはり冬の歌と解するべきでしょう。
 新古今集には「冬」に掲載がありますので、少なくとも鎌倉時代初期は、あるいは定家は、そう考えていたということになります。

 しかし冬にもふたつの解釈があるのです。

 まずは冬の天の川を見ての歌という解釈。以前 感情たっぷりの意訳が面白いことを紹介した三省堂の古語辞典もそれをとっており ---
 − さえざえと天空を貫く天の川。そこにカササギが翼を連ねてかけ渡した橋。霜が降って橋の上に白くきらめいているのを見ると、ああ、夜が更けてしまったなあという思いがする − としています。

 夜が更けて、星のきざはしは霜が置いたように一層輝きを増しているということでしょう。

 しかしどうしてもひっかかるのは、かささぎが翼で橋を作るのは七夕の一夜だけであるということ (しかも本来は雨の時だけ)。
 伝説を離れ、季節を問わず 天の川の近くに輝く星々にかささぎの橋を連想するようになっていたということなのでしょうか?

 さて、冬のもうひとつの解釈。
 宮中を天上に見立て、宮殿の階段を「かささぎの渡せる橋」とたとえたというもの。

 − 宮殿のきざはしに置いた霜の鮮やかな白さ。夜はすっかり更けてしまった −

 宮殿の階段なら年中あります。一番しっくり来る。

 この説は 江戸時代の国学者 かの賀茂真淵が唱えたものらしいですね。
 「大和物語」の中の とある話に、宮殿の階段を「かささぎのわたせるはし」と喩えている壬生忠岑の歌があり、家持の歌も同様に宮中の階段の比喩と解したです。

 しかし三省堂古語辞典では 忠岑の歌は家持の歌を本歌としており、これをもって 家持の歌も宮中の階段とすべきではない としています。
 そのうえで、冬の夜空の解釈の幻想的・象徴的なところが、新古今時代の好みに合うと。

 確かに新古今の時代、定家も、そう解釈していたのかも知れません。

 では万葉時代の家持自身はどうなのでしょう?

 「万葉集」には 長歌・短歌含め 家持の歌が約一割の四百七十三首も収められており、万葉集編纂に大きく携わったと考えられていますが、この歌は入集していないのです。

 また この歌のもともとの出典は 後世に編まれた「家持集」ということを考え合わせると、本当に家持の歌であるか疑わしいと考えずにはいられない。(ちなみに「家持集」では第五句は「夜はふけにけり」となっているとのこと。)

 この歌の真意探求はやめにしようという気になってきます。

 ***

 大伴家持(おおとものやかもち) は奈良時代の貴族・歌人 (718頃-785)。大納言 大伴旅人の子。最終官位は従三位・中納言。
 万葉集の歌人である前に、祖父 安麻呂、父 旅人と同様 律令制下の高級官吏でした。激動の人生を送り、没直後起こった藤原種継暗殺事件にも関与していたとされて埋葬を許されず、官籍からも除名。806年に罪を赦され 従三位に復しました。

 家持作の正月のめでたい歌を、遅ればせながら。

 <新しき年の始めの初春のけふ降る雪のいや重(し) け吉言(よごと)

 天平宝字三年(759) 正月一日、因幡の国庁の宴での作で、万葉集最後に登場する歌です。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 12:25
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