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いろとりどりの歌 第72曲「浅茅生の」

 第72曲は、百人一首第三十九番
 ≪浅茅生のをののしのはら忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき≫ 参議等 (後撰・恋)

 浅茅(あさぢ) は丈の低いチガヤ。
 チガヤ (茅) はごく普通に見られるイネ科の多年草。日当たりのよい空き地に一面に生えますが、そうした場所が浅茅生(あさじふ) です。「芝生」と同じ言い方ですね。

 「をののしのはら」とは地名ではなく普通名詞。「をの (小野)」の「を」には意味がなく、野原の意味、「篠原」は篠竹 (細い竹) の群落とのこと。

 つまりここまでは「浅茅の生えている野原の中の篠竹の群落」という意味ですが、その下の「忍ぶ」を言い起こすための序詞です。

 この序詞は「古今集」恋一に先例があります。
 <浅茅生の小野のしの原忍ぶとも人知るらめやいふ人なしに> 読み人知らず
 恋をしていることを隠して誰にも言わないのに 人は知ってしまうのだろうか、という乙女の初々しい恋心を思わせる歌。
 生育の早い篠竹が背の低い浅茅生に隠れようがないという序詞は、隠しようがない恋心とダブらせ イメージさせる効果があるのでしょう。

 「古今集」の読み人知らずの歌は 古い民謡的なものが多いとのこと。
 きれいな花ではなく チガヤや竹など 田舎を想像させる 地味な植物によるたとえも、貴族などではない 純朴な乙女を想像させます。
 さらに「あさじふ」「しのはら」という語感が 清々しい美しさを感じさせるという効果があるように思います。

 等はそんな歌を本歌取りしたわけです。
 詞書は「ひとにつかわしける」ですから、自分の恋心を意中の女性に伝える歌に変えて。
 = 忍んでも思いが余ってしまう (我慢しようとも我慢しきれない)。どうしてこうあなたが恋しいのでしょう =

 私は 可憐な乙女の吐露のほうが断然好きですね。

 参議 源等(みなもとのひとし) は平安時代前期から中期にかけての公家・歌人 (880-951)。嵯峨源氏。天暦元年(947) 参議に昇りました。
 勅撰入集はこの歌を含め 後撰集の四首のみ。
 役人としても歌人としても それほど華やかな活躍はなかったようです。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:14
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