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いろとりどりの歌 第73曲「あはれとも」

 第73曲は、百人一首第四十五番
 ≪あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな≫ 謙徳公 (拾遺・恋)

 詞書は、ものいひ侍りける女の 後につれなく侍りて 更に逢はず侍りければ
 −愛し合っていた女が その後つれなくなって、さらにはまったく会ってくれなくなったので

 「みのいたづらになす」とは 死ぬこと。

 = 哀れだと言ってくれる人は思い浮かばず、わたしはひとり寂しく死に行くしかないのだろう =

 三省堂古語辞典の訳は ---
 −いたわしい、気の毒だと、当然言ってくれそうな人が、だれでも一人はいるものだが、わたしには思い浮かばず、このままきっと、だめになってしまうでしょうよ

 この歌は、謙徳公 藤原伊尹(これただ) の家集「一条摂政御集」の冒頭に収められているもの。

 「大蔵史生 倉橋豊蔭 くちおしき下衆なれど 若かりける時 女のもとにいひやりけることどもを書き集めたるなり」と始まるこの家集は、摂政太政大臣にまで登りつめた伊尹が、若き日の恋の贈答歌を大蔵史生 (財務省の下級役人というところか) 倉橋豊蔭という架空の人物に託して記し残すという 歌物語風の形をとっているとのこと。

 「いいかはしけるほどの人は 豊蔭にことならぬ女なりけれど 年月をへて 返りごとをせざりければ まけじと思ひていひける」として、この歌があります。

 豊蔭と愛し合っていた女は 彼と同様 身分の低い女だったが、年月が経ち、手紙を出しても返事を送ってこなくなった。豊蔭は負けないぞとばかりに、この歌を送ったというわけです。

 女からうじてこたみぞ
 <なにごとも思ひ知らずはあるべきをまたはあはれとたれかいふべき>

 すると 今回は返事が来た!
 − 何も知らなかった頃なら同情もしたでしょうが、今更かわいそうなどと誰が言うでしょうか −

 あらあら 剣もほろろ…。
 どこまでが実際の経験なのか、創作なのか判りませんが、実際に女がこの歌をよこしてきたのなら どうせ伊尹の浮気が原因なのでしょう。

 取り付く島もない感じですが、その後 伊尹はこう書いています。

 「早うの人はかうやうにぞあるべき 今やうの若い人は さしもあらで上手めきてやみなんかし」

 昔の人はこんな感じだった。今時の若者はここまではせず、上品に諦めてしまうだろう、と。

 面白いですねぇ。
 自分の若い頃なら こんな状況からでも女をものにすることができると自慢しているのでしょう。

 なんとも女々しい歌と感じますが、女の情に訴えかける手段というわけですね。

 今時の草食系男子たちよ がんばれ、と叱咤激励する気持ちもあるのでしょうか。

 ***

 藤原伊尹(ふじわらのこれただ あるいは これまさ) は平安時代中期の公卿 (924-972)。右大臣 藤原師輔の長男。
 妹の中宮 安子が生んだ冷泉天皇、円融天皇が即位すると栄達し、摂政・太政大臣にまで上り詰めたものの翌年 早逝。死因は糖尿病とする説あり。正一位を贈られ、謙徳公と諡されました。
 子孫は振るわず 権勢は弟の兼家の家系に移ることとなります。

 なお 師輔・兼家については、兼家の妻 右大将道綱母の 「嘆きつつ」 で少し触れています。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:19
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