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いろとりどりの歌 第74曲「由良の門を」

 第74曲は、百人一首第四十六番
 ≪由良の門を渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋の道かな≫ 曽根好忠 (新古今・恋)

 「由良の門」は 由良の水門。
 由良(ゆら) は、古くから 万葉にも詠まれた由良と同様、紀伊国の由良海峡 (和歌山県日高郡由良町) とされてきたようですが、江戸時代中期の国学者 契沖(けいちゅう) が、好忠が丹後掾(たんごのじょう) を務めており、その時のことを歌った歌が多いことから、丹後国の由良川の河口 (京都府宮津市) であろうとしました。
 まぁ どちらでも鑑賞に問題ないでしょう。「ゆら」という言葉が 舟がゆらゆらと揺れる様子をイメージさせることを押さえておけばいいと思われます。

 「かぢ (舵・梶)」は 櫓(ろ)や 櫂(かい) など、舟を漕ぐための道具。

 つまり、水門を渡っていく舟人が 舵を失ってしまう、ということ。
 この「かぢを絶え」までが、続く「行方も知らぬ」を言い起こす序詞。

 = 由良の水門を渡る舟人が梶を失ってしまうように、私の恋の行方もどうなるか分からない =

 今回も情感豊かな三省堂古語辞典訳を。
 −あの、潮の流れの速いゆらの瀬戸を渡る舟人が、梶を失い、その地名の「ゆら」の名のとおり、あてもなくゆらめき、ゆらぐように、私の恋も、どのようにしたら受け入れられるのか、めどもたたずに、おぼつかなくさまよう恋の路だ

 あれれ、私は 水門を渡って海に出ることが 恋が実ること (情を交わすこと) を意味していると思っていました。
 好きな女を自分のものにしようとするまでは 川の早い流れのように一直線で思い切りがよかったが、いざ思いを遂げてみると、穏やかな海に漂うように落ち着きを取り戻すものの、梶のない舟の行方が分からないように、今後どうしたらいいか どうなるかと不安になるという心境。

 他を調べてみますと、詳しい状況がはっきりしない訳が多いようですが、三省堂にはこう解説があります。
 −どのような手段で相手に恋を伝えればよいかもわからず、やみくもに恋情に突き動かされるままの、おぼつかなさや焦燥感を印象づけるのに効果をあげている。

 思いを伝える前の気持ちですかぁ。
 う〜ん、でも私は 今までの自分の解釈を捨てきれないですね。

 契沖は「迫門のこし難き所をば言い寄るあたりの難儀なるにたとへたり」としていますので、古来 さまざまな解釈があるのかもしれません。

 ***

 曽根 (曾禰) 好忠(そねのよしただ) は平安時代中期の歌人 (生没年不詳)。長く丹後掾を務めたことから 曾丹(そたん) と称されました。
 素材や用語が自由で 歌風は斬新という評価あり。家集「曽根好忠集 (曾丹集)」には、当時としては新しい試みであった「百首歌」、あるいは一日一首 一年で360首をまとめた「毎月抄」が収録されており 注目されます。勅撰集 計九十二首入集。

 偏狭な性格であったとも言われており、寛和元年(985) 円融上皇の催された紫野での歌会で、好忠は招待を受けていないにもかかわらず 歌人として列席しようとして 追い出されたという逸話が残されています。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 02:10
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