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いろとりどりの歌 第76曲「誰をかも」

 久しぶりの更新となりました。
 第76曲は 百人一首第三十四番
 ≪誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに≫ 藤原興風(古今・雑)

 昔の友人が皆死んでしまって、孤独を痛切に感じている老人の嘆きの歌。

 「高砂」は 兵庫県の加古川河口に近い 現在の高砂市。樹齢の古いことで知られる「高砂の松」は長寿の象徴。(ただし「高砂」は普通名詞で、単に山のこと という説もあるよう。)

 = 誰を知り合いとすればいいのだろう。知っている長寿といえば高砂の松くらいだが、そんな松も私の友ではないのだ =

 現代のような長寿大国でも老人の孤独死が問題となっていますが、この歌の孤独はちょっと違いますよね。
 子供には世話にならず、離れてひとりで住んでいて、周りともほとんど付き合いをせず… というのではなく、この歌ではおそらく、息子など世話してくれる家族はそばにいるけれど、自分のように長生きしている昔の友がいないのでしょう。
 自分だけが長く生きていることの不思議さ、生への恐れみたいなものがあるのではないでしょうか。
 それが私にとっては面白いんですね。
 そんな解釈をする者はひょっとすると他にいないのかもしれませんが。

 この歌は「古今集」に並んで収められている歌を本歌として詠んだとされています。
 <かくしつつ世をやつくさむ高砂の尾上にたてる松ならなくに>
 − このようにして死んでいくのか。高砂の峰に立つ松のように長く生きられるわけでもないのだから −

 そして 紀貫之にもこんな歌が。興風の歌とどちらが先に詠まれたのかは不明とのこと。
 <いたづらに世にふる物と高砂の松も我をや友と見るらむ>
 − 無駄に年をとってしまったものだ。高砂の松も私を友と思うだろうほどに −

 死というものが身近に感じらるようになった今日この頃、いずれも感慨深く感じられますが、興風の歌は 私の見当はずれかもしれないものの そうとることもできるに違いない解釈において、私には一番心に響くところです。

 ***

 藤原興風 (ふじわらのおきかぜ) は、平安時代前期の官人・歌人 (生没年不詳)。藤原京家の出身で、参議 藤原浜成の曾孫。最終官位は正六位上。音楽にも優れ、琴の名手だったとのこと。
 家集「興風集」。古今集初出、勅撰入集計四十二首。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 00:30
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