RSS | ATOM | SEARCH
♪Questo♪Momento♪ 第72番「暁の自然の目覚めの描写」
 6月末の帰省。

 父の体にお住まいのガン氏もおとなしくしているようで、父に弱ってきた感じは特にありませんでした。

 しかし飲む抗がん剤の副作用か、食べられるものの 食欲は湧かず、また体力作りをする気も起こらない様子。今回 近所の森の散歩はしませんでした。

 心配ですが、仕方ないですねぇ。

 父ももう75歳。早死にを惜しむ年ではない。



 … あやや、不吉なことを書いてしまいました。

 また散歩ができるくらいに元気になってくれることを願っております。



 オツムのほうは衰えを知らず。

 政治問題からバラエティ番組のことまで、相変わらず硬軟問わず詳しい。

 昔からのクラシック音楽、登山、自然の趣味も、今となってはもっぱらTVでですが、楽しんでいる様子。

 一緒に百名山の録画ビデオを見ました。



 そして、ヤニック・ネゼ-セガン指揮 フィラデルフィア管の来日公演の録画ビデオ。

 曲目はモーツァルト:交響曲第41番と マーラー:交響曲第1番。

 

 フィラデルフィア管といえば 2011年に倒産し、アメリカ・ビッグファイヴが倒産!?と驚かされたものですが、翌年 更生手続きが完了し、カナダ出身の活きのいい若手ネゼ-セガンを第8代音楽監督に迎えてがんばっているようですね。



 驚かされたのはメンバーにアジア系の顔が多いこと。

 コンサートマスターもデイヴィッド・キムという韓国系アメリカ人です。

 ヴァイオリンのアジア系クールビューティーが気になっている父。ま、あたくしもですが。

 彼女も韓国系なのか、ちょっとネットで検索してみましたが、判りませんでした。



 若々しく 引き締まった演奏は見事。

 アンサンブルの機能性はオーマンディの時代よりも優れていることでしょう。

 ただ番組で、このオケが昔言われていた「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」の話をしきりにしていたことには違和感を覚えました。

 それらしき豊麗な響きを感じる部分もあったとはいえ、かつての一種ノンキさを感じるゴージャスな響きを売りにするような演奏スタイルではないのですから。



 さて「百曲一所」とまいりましょう。

 モーツァルトの第41番は最も好きな交響曲のひとつで、フィラデルフィアの演奏でも感動させられましたが、最後の最後にとっておいて、

 今回は マーラー:交響曲第1番(1884〜94作曲)を。



 マーラーの交響曲では 第4番、「大地の歌」が特に好きなのですが(第9番はスゴすぎて 敬遠したくなる…)、この第1番となると、第4楽章は 今ではなかなか聞く気になれない音楽。



 しかし第1楽章が大好きなのです☆



 「ゆるやかに重々しく」の序奏部。長く引きのばされたイ音の上に4度下降の動機。

 夜明けの森のよう!

 シンとした静けさ。あたりを包むもや。まだ薄暗くぼやっとしている。

 目覚めはじめる鳥たち。

 遠くでトランペットのすばやいパッセージ。ニワトリのような鳴き声。

 カッコウのような鳴き声。

 ホルンのいかにも牧歌的な 包み込むような優しさ。遠くからのトランペットとの対比。

 夜露が葉から落ちて、下の葉で跳ねる。−ここが好き!





 徐々にもやが切れ、日差しが眩しくなってくる。朝。

 −ああ、なんと麗しい音楽!



 主部に入り 第1主題は「さすらう若人の歌」の第2曲「朝の野を歩けば」のメロディ。

 その歌詞は、

  今朝 野を行くと 露がまだ草の上に残っていた

  陽気なアトリが話しかけてきた

  −やあ君 おはよう! いい天気だね 

  美しい世界だと思わないかい?

  ツィンク ツィンク 美しく キラキラしている!

  なんてこの世は楽しいんだろう




 明るく美しい森を楽しく散策するような感じ。



 展開部に入ると、序奏部の雰囲気。また夜に戻るような。

 寂しく、神秘的で、いやがおうにも不安を誘う。

 盛んにカッコウのような鳴き声。



 しかしホルンの穏やかで優しいファンファーレがまた明るさを取り戻してくれる。さすらう若人の主題。

 やがて半音階的に上昇する動機が不安を高めるように繰り返されてフィナーレを予告する。

 トランペットによるニワトリの動機(?)が鳴り、その後 トゥッティによるクライマックスを迎え、ニワトリの動機はファンファーレに姿を変えて晴れやかな気分に。



 なんとその後が再現部とのこと。非常に短い上、各主題も省略された形で急速に再現されるため、まるでコーダのよう。

 ティンパニが4度動機を連打して、快活に 急くように曲を閉じます。



 この楽章はマーラーが少年時代を過ごしたボヘミアの森の回想か などと思っていましたが、この曲は熱烈な恋愛感情から生まれたものらしく、そう単純なものではなさそう。

 しかし ハンブルクでの再演の際、マーラーはこの楽章に「終わりのない春、序奏は暁の自然の目覚めの描写」と書いていたとのことですので(後に削除)、もちろん大きくは間違ってはいないわけです。



 しかし 描写といっても、カッコウのような鳴き声が3度下降ではなく4度であることから見て、象徴化されたものなのでしょう。

 遠い昔の記憶からの幻想なのかも知れない。

 トランペットのニワトリも「似てないから違う」とは言い切れないのです。リムスキー-コルサコフの「金鶏」の動機の例もありますしね。



 今回の父との森の散策は、はからずも マーラーで代わりとしたかたちになりました。
author:, category:♪この曲の♪ここが好き♪(百曲一所), 00:27
comments(0), -
スポンサーサイト
author:スポンサードリンク, category:-, 00:27
-, -
Comment