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いろとりどりの歌 第86曲「今来むと」

 父の病状も改善し、退院も見えてきたところで、百人一首。
 今回は、第二十一番
 ≪今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな≫ 素性法師(古今・恋)

 恋人の訪れを待つ女の立場で詠んだ歌。代作です。

 「有明」は 月の出が次第に遅くなる二十日以降、夜明けに月が残っている状態。またその夜更けに出る月を「有明の月」と言いました。

 「待ち出でつるかな」の「つる」は完了の助動詞「つ」。直訳すると、待ちに待って とうとう月を出してしまった、となるとのことです。

 = すぐに行くよ とあなたは言ったのに、長い月日が過ぎ、長月の有明の月の頃。今日も待ち続けたけれど、夜更けの月が現われました =

 三省堂訳は − 今行くよ、という甘いことばにつられたばかりに、毎夜待ち暮らし、気がついたら、もう秋も終わりの長月、それもはや下旬、今夜も長月の名のとおりの、晩秋の秋の夜長を待ち明かし、やっと姿を現したのは、あなたならぬ有明の月。

 しかし 9月とは関係ないという説もあり。私がずっと参考にしていた難波喜造氏もその立場。
 「長月」の語感に惑わされず、一夜のこととして「訪れをお持ちしてとうとう有明の月をながめることになってしまった」とみる方がよいと。つれない男の心に訴えかけ、次の夜の訪れをうながすと。
 長い月日を待った もう実際には縁のない恋となると 詩的ではあるものの現実味がない。
 しかし 一夜のこととなると、もっと生々しい恋の歌になります。女が本当に素性に代作を頼んだ状況が浮かんでくる。
 一長一短あるような気がします。

 しかし百人一首選者 定家は「月ごろ待つほどに秋も暮れ 月さへ有明けになりぬるとぞ詠み侍りけむ」と書いているとのこと。
 また 鎌倉時代、歌合せで好まれた題のひとつに「過ぎて逢はざる恋」があったが、その際 この歌が本歌として使われたとのことで、「秋の恋の歌」とするのが一般的といえるでしょう。

 素性(そせい) は平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶。遍昭 の子 (桓武天皇の曾孫)。俗名は諸説あり、良岑玄利(よしみねのはるとし) とも。
 若くして出家。宇多天皇の歌合に招かれるなど、歌人としての名声は高かった。
 古今集に三十六首入集、勅撰入集は計六十三首。家集『素性集』があるが後世の他撰とのこと。

 これで 前半五十首に開いていた穴を埋めることができました。ちょっとすっきりしました。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 22:12
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