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いろとりどりの歌 第87曲「やすらはで」

 今回は 百人一首第五十九番

 ≪やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな≫ 赤染衛門 (後拾遺・恋)

 詞書は −中関白少将に侍りける時はらからなる人に物言ひわたり侍りけり頼めてまうで来ざりけるつとめて女に代りてよめる

 中関白 藤原道隆 (儀同三司母の夫) がまだ少将であった若い頃、作者のはらからなる人、姉か妹のもとに通ってきていたが、ある夜 約束を破って訪ねて来なかったので、翌朝 代わって詠んだ歌。

 「やすらはで」は「ためらわずに」「ぐずぐずせずに」

 = ためらわずに寝てしまえばよかったものを、夜が更けてしまい、西の空に傾くまで月を見ていました =

 今回も一応 三省堂訳を。
 こうなることが初めからわかっていたなら、ぐずぐずとためらうことなく寝てしまいましたでしょうに、おこしになるというおことばを信じて、まんじりともせず、とうとう夜がふけて西の山に傾くまで月をながめたことでした。

 前回取り上げた 素性の「今来むと」と似た歌ですね。
 三省堂では、そのふたつの句の違いとして、「今来むと」がややおどけてみせた口ぶりがあるのに対し、「やすらはで」は 初句・第二句で こんなことならという嘆息が感じられ、第四句「まで」には諦めて がっかりした女性の姿がしのばれると。
 期待、喜びから不安、焦慮、さらに悲しみ、恨みという待つ身の審理の動きが汲み取れるところを 昔から評価されてきたとのことです。

 赤染衛門 (あかぞめえもん) は 平安時代中期の女流歌人 (956頃?〜1041年以後)。大隅守 赤染時用の娘 (平兼盛との説も)。
 文章博士 大江匡衡と結婚。おしどり夫婦として知られたとのこと。
 藤原道長の正妻 源倫子と その娘の藤原彰子に仕えており、紫式部、和泉式部、清少納言、伊勢大輔 等とも親交があった。「紫式部日記」では 彼女の人柄、おだやかな歌風を褒めているとのこと。
 匡衡の尾張赴任にもともに下向。
 1012年に夫が逝去した後は、信仰と子女の育成に尽くした。
 「拾遺和歌集」以下、勅撰和歌集に93首が入集。

 ただし この歌、「赤染衛門集」のほかに「馬内侍 (うまのないし) 集」にも収められていて、作者には疑問が残るとのこと。

 ということで、同じく後拾遺集に収められた 彼女の秋の歌はいかがでしょう。

 <起きもゐぬ我がとこよこそ悲しけれ春かへりにし雁も鳴くなり>

 詞書は −ひさしくわづらひけるころ雁の鳴きけるを聞きてよめる

 「我がとこよ」は「私の床」「雁の故郷という常世(永遠の国・神の国)」の掛詞。

 = 病気でずっといる私の寝床、そんな「床世」のなんと悲しいこと。雁が常世へ帰る春、床に臥していた私だが、秋になって雁が戻ってきて啼いているのを 私は相変わらず寝床で聞いているのだ=

 ん? 「雁」を「ガン」と読むと縁起悪いな…。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 21:10
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