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いろとりどりの歌 第1曲「大江山」

 「百人一首」は 平安時代末期 (から鎌倉時代初期) の代表的歌人 藤原定家が選んだとされる私撰和歌集。平安時代を中心とした歌人百人の百首が選ばれています。

 このコーナーでは 百人一首を中心とした私の好きな歌を一首ずつピックアップし 鑑賞していきたいと思っております。

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 第1回目に選んだ歌はこれ。
 百人一首第六十番
 ≪大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天橋立≫ 小式部内侍 (金葉集・雑)

 小式部内侍(こしきぶのないし) は やはり優れた歌人であった 和泉式部 の娘。

 母娘はとともに上東門院彰子に仕えていましたが、和泉式部が藤原保昌と再婚、保昌が丹波守に任ぜられたので、和泉式部も宮中に別れを告げ、丹後に移り住んでしまいました。

 ちょうどその頃 都では歌合が開催。すでに実力を認められていた小式部内侍も参加することに。

 しかし一部の間で、小式部内侍の歌は 和泉式部が代作したものではないかという噂がありました。
 当時の和歌の第一人者 藤原定頼 (「朝ぼらけ宇治の」) も疑っていたひとり。

 定頼は小式部内侍の部屋へ行って、「歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人は遣わしけむや、使はまうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらむ」(「金葉集」の詞書より) と厭味をかましました。

 もうすぐ歌を提出する期限が来ますが どうされますか? 代作を頼むために丹後に使者を遣わしましたか? 遣いはまだ帰ってきませんか? 心配ですねぇ、というストレイトな厭味。

 言うだけ言って さっさと帰ろうとしたところ、小式部内侍は彼を引き止め、即興で詠んだのがこの歌です。

 = 大江山を越え 生野の道を行く丹後は遠いので 私は天の橋立を踏んだことがなく まして母からの文など見たこともありません =

 「袋草子」によれば、定頼は返す言葉もなく 赤面して逃げ出し、以後 小式部内侍は本当に歌がうまいと認められたとのこと。


 「踏みもみず」と「文も見ず」がかかっている この歌が本当に即興だとすれば、小式部内侍はまさに天才ですね。

 やはりこれは 美化されたエピソードなのでしょう。

 和泉式部が夫とともに丹後に下るか 都に留まるかを迷っているのを 定頼がからかったという事実があるらしく、そんなところから生み出された逸話ではないかとのこと。

 しかし定家はこのエピソード (「金葉集」の詞書) を信じていたのでしょう。
 この歌の軽妙な機知に魅力を感じていたからこそ、「百人一首」、あるいは八代勅撰和歌集から秀歌約1800を選出した「八代抄」にこの歌を選んだに違いない。

 軽妙なセンスが好きな私は、定家に倣って 素直に小式部内侍の才媛ぶりを味わいたいと思います。

 それから 丹後の美しい自然がパァッとイメージされるのも素敵。

 天橋立が千年の時を越え 今なお景勝地であることも 考えてみればスゴイことですね。

 また大江山は一度登ってみたい山ながら、同じ関西でも相当な交通費と時間がかかり (日帰りでは無理)、なかなか行くことができない。

 現代でもそう思うのに、千年前の人間にとっての「丹後の遠さ」はどんな感覚であっただろう。
 そんなことにも思いは及びます。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 18:02
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