RSS | ATOM | SEARCH
いろとりどりの歌 第2曲「滝の音は」

 第2曲は 百人一首第五十五番
 ≪滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ≫ 大納言公任 (拾遺集・雑)

 京都嵯峨、大沢の池を擁する大覚寺は もともと嵯峨上皇の別荘跡。

 離宮時代の庭園には 水を引いた池に滝を落とし、その滝を見物するための滝殿さえ建てられていました。

 嵯峨上皇が崩御されてから30数年後の貞観18年 (876)、皇女の正子内親王 (淳和天皇皇后) が離宮を寺に改めて大覚寺とするのですが、さすがに贅を尽くした庭園に手をかけられなくなったのでしょう、いつの頃からか滝の水も枯れてしまって そのまま放置されてしまいました。

 藤原公任(きんとう) が かの藤原道長のお供のひとりとして大覚寺に赴き、この歌を詠んだのは長保元年 (999) 9月といいますから、嵯峨上皇崩御から150年以上経った時のことということになります。

 = 水は枯れて滝の音が聞こえなくなってしまって久しいが、その名声は後世にも伝わっていて今でも聞こえるのだ =

 この歌がきっかけで この滝跡が「名古曾 (なこそ) の滝」と呼ばれるようになったのですから 昔から秀歌と認められていたようですが、藤原定家は百人一首で選んでいるものの、「八代抄」(八代勅撰和歌集から定家が秀歌約1800を選出したもの) ではこの歌を採っておらず、実はあまり評価していなかったのかも という疑問が残ります。

 実のところ 私も内容的には特段面白いとは感じないのですが…、しかしなんとも「調子」がいい!
 5(ここでは6)−7−5−7−7の最初の音が「た−た−な−な−な」。
 しかも下の句は「こそがれてお」となっていて たたみかける感じ。

 この語感、リズム感が好きなのです。
 蝉丸の有名な 「これやこの」 も軽妙なリズム感がありますが、もっとスッキリとした 洗練があるように感じます。

 私が平安文化にのめりこんでいた平成八年の夏、名古曾の滝跡などを見に 2度大覚寺を訪ねました。
 結構 発掘調査がおこなわれており、遣水跡などを見て興奮していた私。当時は立ち入り禁止になっていた場所にも入り込んだりしていました。
 その時のことを記録したものを見返してみますと、マニアックなところまで調べ、疑問に感じ、なんと大覚寺に電話までして尋ねているではありませんか。
 寺の位置の移動について、そして鎌倉時代に入って造られた別の滝について。
 そんなことすっかり忘れていましたので、昔の自分の凝りようにビックリでした…。


 ***

 公任は学識豊かな才人でした。
 それを示す有名な逸話が残っています。

 藤原道長が大井川に 漢詩・和歌・管弦の三船を浮かべ、船ごとにそれぞれの名人を乗せるという舟遊びを催した時のこと。
 どれも得意だった公任ですが、あろうことか当日遅刻。
 まだ岸を離れていなかった和歌の船に乗り込むしかなかった。

 そんな状況にもかかわらず、苦吟する人々をよそに
  <小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦着ぬ人ぞなき> と詠んだ公任。
 人々を感嘆させ 面目を保つことができたのです。

 しかしどうせなら貴族の公式の教養である漢詩の船に乗って名誉をあげるべきだったと、遅刻したことを大いに悔しがった公任。
 このエピソードから「三舟の人」と呼ばれるようになりました。

 なお第1曲「大江山」に悪役として登場した定頼 (「朝ぼらけ宇治の」) は公任の子です。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 12:03
comments(0), -
スポンサーサイト
author:スポンサードリンク, category:-, 12:03
-, -
Comment