第3曲は 百人一首第九十五番
≪
おほけなくうき世の民におほふかなわがたつ杣にすみぞめの袖≫ 前大僧正慈円 (千載集・雑)
奥さんの実家は京都 桂。ご両親はマンションを経営しており その最上階にお住まい。
夏には奥さんのお姉さん夫婦とともに ベランダでバーベキューをやるのが定番なのですが、ベランダからは京都市街が一望できます。
桂は平安京から西に少し外れたところ。平安の世に思いを馳せながら眺めたりしているのですが、いつも面白いと思うのが 平安京のちょうど北東 (艮 / うしとら) の方角に比叡山があること。
陰陽道で 鬼が出入りする方角であるとして忌むべき「鬼門」にあるわけです。
「鬼門」という考えは中国から来たということですが、中国では特に忌み嫌うことはないらしい。
しかし京の鬼門からは、冬の季節風である冷たい比叡颪 (ひえいおろし) が吹き、京都盆地に底冷えをもたらします。
そんなところからも忌み嫌われる方角として定着したのかも…。
詳しく調べたわけではありませんので 浅学の想像でしかないのですが、そんなことを考えたりします。
比叡山は滋賀と京都にまたがる標高848メートルの山。天台宗の総本山 延暦寺が広大な寺域を持っています。
山登りを始めた頃に1度登ったことがあるのですが、山頂にお化け屋敷があって 嬌声を含んだ金切り声が漏れ、あるいは人工スキー場があるなど (現在はともに閉鎖?)、興ざめしていました。
それ以上に失望したのは 寺域に入る時。
ハイキングで通るだけなら拝観料は払わなくていいということで、番人として金を徴収しているお坊さんにその旨伝えると、口も聞かず 眉をしかめて顔を横に振ることで “渋々許可” の意思を表した。
それが坊主のとる態度か! 長年金取る修行しかしてないんかい! 祇園で遊ぶことしか考えとらんのやろ! 比叡山には二度と登らん! −怒り心頭に発していたわたくし (もちろん声に出していたわけではありませんので…)。
私にとって 比叡山の僧侶というと そのクソジジ… もとい、お坊様しか知らないので、大変印象が悪いのです。
さて この歌。
「わがたつ杣(そま)」というのは にっくき比叡山のこと。
しかし この歌には忌まわしい体験とは正反対の清々しさがあります。
= 偉そうなことを言うようだが、比叡山に住み初めたこの私、墨染めの袖を憂き世に覆いかけ、仏の加護を祈るのだ =
「すみぞめ」は「比叡山に住み初める」と「墨染めの黒の僧衣」とのかけことば。
前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん) は藤原忠道の子。摂政家に生まれましたが、永万元年 (1165) 11歳で仏門に入りました。
建久三年 (1192) 年に権僧正、天台座主に就きますが、政変に翻弄され 解任・再任を数度繰り返すことになります。
この歌は寿永元年 (1182)、無動寺検校に任ぜられて、叡山に上った時の作だろうとのこと。
だとすれば 慈円28歳。前年から飢饉が続いて悪疫が流行していました。
世のために尽くそうとする若き宗教者の清新な意気。
比叡に吹く冷たい風に、真新しい僧衣の匂いがほのかに混じるよう。
「おほけなく」という言葉の使用も面白い。
なお慈円は「わがたつ杣」の語を使った歌を多く詠んだため、以後 比叡山の別称として広く認知されたということです。
比叡のキツリフネ
父の藤原忠道 (法性寺入道前関白太政大臣) は、これも百人一首に採用されている「わだの原漕ぎ出でて見れば…」の作者。