今年の司会はアナウンサーひとりで、盛り上げ担当のタレントなども使わず、なにやら暗い雰囲気。
「対の歌声、終わらない世界」をテーマとし、清らかさと醜さの両面をあわせ持つ人間の二面性を見事に描き切った傑作オペラの名場面を聞かせるとのこと。
オープニングはヘンデルの「メサイア」の「ハレルヤ」を吉松隆らがポップに編曲した合唱。なんでオペラではない曲を… と思っていたら、続けて「ハレルヤ」の少し前にあるバスのドラマティックなアリアが。
「なにゆえ もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか…」
キリスト教の音楽とはいえ、テキストは「イザヤ書」など旧約聖書からとられ、「メサイア、ハレルヤ」はヘブライ語。
なんとなくパレスチナの戦争を思わせるなと感じました。
その後「清きアイーダ」をはじめとする4曲が歌われたあと、ヴェルディ:「オテロ」の「無慈悲な神の命ずるままに」(イャーゴ) と、プッチーニ:「トスカ」の「テ デウム」(スカルピア) という悪のたくらみの歌が。
第2部に入ると ムソルグスキー:「ボリス・ゴドゥノフ」の「私は最高の権力を手に入れた」(ボリス) と、ヴェルディ:「ドン カルロ」の「ひとり寂しく眠ろう」(フィリッポII世) が歌われます。
ボリスは「自分は権力を手に入れ6年の間、国を無事治めてきたが心に幸福はない。クセーニヤの許婚の急死、大貴族の裏切り、外国の陰謀、飢饉や疫病が続き、全ての罪が自分にあると国中で怨嗟の声が上がっている」と歌い、フィリッポは「私は王家のマントでひとり眠ろう、私の人生の夕暮れを迎えるとき。黒い丸天井の下でひとり眠ろう、霊廟の墓の中で」と。
権力者の苦悩と孤独、死の予感。
ここまでくれば、裏テーマとしてロシアとイスラエルの為政者批判があるに違いないと。
そして最後、モーツァルト:「ドン ジョヴァンニ」の地獄落ちの場面。
「悪党よ 悔い改めよ 生き方を変えるのだ!」と迫る騎士長の石像 (亡霊) の要求を拒否したドン ジョヴァンニは、激しく暴れる炎に巻き込まれ、奈落の底に突き落とされます。
その後 フィナーレ、ドン ジョヴァンニ “被害者の会” による六重唱 (の後半部分)。
「これが悪事をなす者の最期、不誠実な者の死はそれ相応のものとなる」
そして最後に「ハレルヤ・コーラス」が今度はオリジナルで、もとい、モーツァルトが管弦楽を豊かにした版で高らかに歌われ、悪の為政者なきあとの輝かしい平和な世界が暗示されてコンサートは終わります。
NHK渾身の演出といえるでしょう。
ところがです。地獄落ちの場面で、能登地方に余震が起こったことを知らせるテロップが入るではありませんか。
もう一度、最後の「ハレルヤ」でも。
なんという皮肉なタイミングでしょう。
悪の為政者の不敵な笑み、嘲笑いが思い浮かびました。
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先日 京都のとある駅で「ビッグ・イシュー」を売っている人がいて、初めて購入してみました。
喜捨の気持ちに突き動かされたのですが、内容はどういうものなのか以前から気になっていました。
内容はホームレスに関すること、SDGsに関することが中心でした。
私はレコード店を退職してからこの仕事を始めるまでの数年間、どう生きるべきか思い悩み、田舎で貧乏暮らしができないものかと本をいろいろ読んでいたのですが、その時に読んだ本を思い出すような内容で 結構楽しみました。
今後も見つければ買おうと思っていますが、もしいつもこうした内容が中心であるのならば、多くの人に続けて購入してもらうことは (特に日本では) たやすいことではないような気もします。
販売員は声を出すことなく、体を大きく動かして、行き交う人々に本を示していました。マニュアルがあって訓練を受けており、声を出さないようにしているのでしょう。身分証も持っていました。
昔は繁華街には怪しいものを含むいろいろなものが道端で売られていたり、また物乞いがいたものです。昭和40年代にさかのぼれば、白装束の傷痍軍人が楽器を弾き、歌を歌いながら喜捨を求めたりもしていました。
往年の名テノール歌手 マリオ・デル モナコが昭和34年 イタリア歌劇団として来日した際の話を思い出しました。
デル モナコが浅草を散策していたところ、アコーディオンを弾きながら人々の喜捨を求める傷痍軍人がいました。デル モナコは彼が歌う軍歌を覚えて、自分の帽子を脱いで、歌いながら人々に喜捨を求めはじめましたが、浅草には偉大なるオペラ歌手を知る人はおらず、帽子にお金を入れてくれる人はいませんでした。デル モナコは自分のお金を傷痍軍人に渡して立ち去ったとのことです。
デル モナコの心優しさを伺い知ることができる 好きなエピソードです。
傷痍軍人には国から恩給がたっぷり出ていたのではないかという話はここでは置いておきましょう。
子供の頃 傷痍軍人はもちろんのこと 怪しい露天商や物乞いの人たちは自分とは無関係でしたが、先述のどう生きていけばいいのか悩んでいた時 バイト先で、リアカーを曳いて段ボールを集めにくるホームレスのおっちゃんと話をするようになりました。というのも自分もいつそうなるかもしれないと感じ、遠い存在ではなくなったから。
明るく気さくなおっちゃんで、話をするのは結構面白かったのですが、ある時「リアカーいっぱいに段ボール集めたらいくらになるの?」と尋ねたことがありました。
1000円であることを教えてくれましたが、羞恥心をあらわにし、仕事はこれだけではないと言い訳をしているのを見て、悪いことを聞いてしまった と反省したのでした。
「ビッグ・イシュー」を読みながら色々なことを感じ、また思い出し、現在 まがりなりにも好きなことを仕事にできて、温かい家で過ごすことができていることの幸せをかみしめました。
※「イシュー (issue)」には「課題, 問題」「出版物の発行」のふたつの意味があり、「ビッグ・イシュー」はかけ言葉になっています。
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同レーベルの録音は、日本ではCD時代初期からコロムビアから発売されていましたし、近年も海外盤で 演奏家別にまとめたセットものが発売されていました。
しかしシューリヒトとかリリー・クラウス、モントゥー、ミュンシュ、ペルルミュテールなど一部の人気演奏家に限られているんですね。
ワルター・ゲール、ハンス・スワロフスキー、ピエール・デルヴォー、ミシェル・コント、モーリス・ル ルー、デイヴィッド・ジョゼフォヴィッツなどというところはなかなか復刻されない。
日本メール・オーダーのCDシリーズは、オリジナルを尊重せず、組み合わせを大胆に変更した、オールドファンからすれば何ともむごたらしいカップリングでしたが、それでも珍しい録音、ユニークな演奏が聞けるということで貴重でした。
そもそもコンサート・ホール・ソサエティはアメリカの通販の会社。
WIKIPEDIAによると創立は1946年とのこと。国内盤は1962年 日本メール・オーダーと提携し 販売を始めたとあります。
どういうシステムで販売していたのか以前から疑問に感じていましたが、先日、その昔 会員で実際に購入していたというお客様からお話をうかがうことができました。
そのかたは現在74歳。中学から高校生の頃ということですから約60年前。まさしく1960年代ですね。
会員になると毎月 小冊子が送られてきて、発売されるレコードの紹介があり、購入する場合はほおっておく、不要な場合は添付された葉書にその旨書き、返送するというシステムだったとのことです。
以下 箇条書きで。
・1年で最低4, 5枚は購入するという条件。
・小冊子には今月のレコード以外にもいろんなレコードを紹介しており、希望の商品があれば購入可能。
・後払いで、1枚1500円から2000円くらい。
・クラシックのほかシャンソン、ジャズ、民族音楽等あり。17センチ盤、25センチ盤もあって、それらは300円くらいからあった。
・もう1枚プラスするといくらになるとか様々なかたちの割引きがあった。
・「ACCディスク大賞受賞」とかそういう売り文句が踊っていた。
60年も前のことですから少なからず推量の形で書かれておられましたが、おおよそのことを知ることができますね。
1960年代ですから近所にレコード店がない地方の音楽ファンには特に重宝されたことと思います。
1970年くらいには小冊子をパッタリと送ってこなくなったものの、CD時代となると突如 CDの頒布が始まり、これもまたいつの間にかパッタリとなくなったとのことです。
モータリゼイションなどの発達でメジャー・レーベルのレコード, CDが買いやすくなったこと、あるいは録音があまりよくなかったことなどから商売にならなかったのでしょう。
しかしCD時代でも利用された方がおられたから、こうして中古CDで聞くことができるわけです。
とはいえCD化されているのはほんの一部。コンサート・ホール・ソサエティは膨大な数の音源があります (原盤が今も適切に保管されているのかはわかりませんが…)。音質がよくないのは残念ですが、それでもマイナー演奏家の録音を復刻してくれる会社が現れることを期待したいところです。
…なんてほとんど無理ですね。
かつて日本のウェストミンスターのCD復刻シリーズに掲載されていたバドゥラ- スコダのインタビューを思い出しました。バドゥラ- スコダは復刻されたラインナップを見て、当時 評判になったあれがない これがないと残念がっていたのです。日本で復刻されるものは、レオポルド・ウラッハをはじめとする往年のウィーンの音色に偏っていることを思い知りました。
CD化が確実に売れそうな名演奏家の音源の復刻に偏るのも当然なんですよね。
私はその昔 関西で長く放映していた「鶴瓶・上岡・パペポTV」を偏愛していました。多くの回をビデオに録っていて何度も見たものです。VHSテープの劣化が激しく 近年は見ていませんが。
何を隠そう、私の古代史好きは上岡氏の影響です。
とはいえ 時々話していた卑弥呼などの話、当時は興味が持てませんでした。
ただ歴代天皇を暗唱していることがかっこいいと思い、自分もチャレンジ。−しかしわずか十六代までで断念…。
しかしその約20年後 偶然 BOOKOFFで100円で購入した歴代天皇の本をきっかけとして天皇史・古代史に興味を持つようになったのです。長い年月を要しましたが その本を手に取ったのは上岡氏の影響と言えるでしょう。
百二十五代 歴代天皇の暗唱にも成功。−ただし今はちょっと復習が必要でしょうが。
一度 話に出たことのある、卑弥呼の墓とも言われる桜井市の箸墓 (はしはか) 古墳、第七代 孝霊天皇の皇女 倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと) の墓を訪れた際には感慨深いものがありました。
そうそう、私が十六代 仁徳天皇の御陵とされる大仙陵古墳のある大阪堺に移り住んだのも面白い偶然です。
また私は昔から雑学好きでしたが、語源好きになったのは氏の影響。物事がだめになることを「おしゃかになる」と言いますが、その語源を「パペポ」で話していて 感心したのがきっかけです。
その他 ちょっと毒のある冗談や気の利いた言い回しなどを真似したり。
「パペポ」以外の上岡氏の番組はあまり見ませんでしたし、尊敬していたとまでは言えませんが、相当 影響を受けた人物であったことには間違いがありません。謹んでお悔やみ申し上げます。
***
一言、余計なことを書きますと ---
このたび 亡くなっていたことが発表され、テレビでは生前の活躍を盛んに紹介していましたが「人気絶頂で引退した」というのは間違いです。「パペポ」が東京のテレビ関係者で評判となって東京進出。1990年代に多くのレギュラー番組を持ちましたが、約6年後 同時期に東京のレギュラー番組はなくなりました。「パペポ」でそのことへの恨み節を言っていたことを鮮明に覚えています。また「パペポ」も以前ほどの面白さはなくなっていました。
細々とテレビタレントを続けるのではなく、かつての勢いがなくなったところで潔く かっこよく引退したというのが正しいでしょう。
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2023.4.22 (土) 15:00 フェスティバルホール
●ヴェルディ:レクィエム
■尾高忠明 指揮 大阪フィル 同cho
田崎尚美(S) 池田香織(A) 宮里直樹(T) 平野和(Bs)
https://www.osaka-phil.com/events/event/867/
弟 (の奥さん) にチケットをいただき、下のほうの弟と聞きに行ってまいりました。
コンサートに行くのは数年ぶり。最後に行ったのは何だったか思い出せないくらいです。座席は2階の前で左端のあたり (観客側から見て)。
ヴェルディのオペラは大好きで、特に最後のオペラ「ファルスタッフ」は店名にもしているほどですが、正直言いましてレクィエムはそれほど好きではありません。
あんなの宗教音楽ではない などと野暮なことを言うつもりはありませんが、やはり大仰過ぎる。若い頃からそう感じていましたが、年取ってくると余計にそう感じるものです。
だから全曲となると久しぶりに聞いたわけですが、いやいや、なかなかどうして、充分に楽しみました。ヴェルディ円熟期の作曲技法の見本市という感じがしました。
演奏もよかった。もちろんカラヤンやアッバードらが残した録音と比べるといろいろ劣る点はありますが、生の音というのはまた別物です。
視覚的に見られるのも興味深い。ここの音はセカンド・ヴァイオリンで出しているのかとか、この音はこの楽器とこの楽器で出しているのかとか。
また見たことのないデカイ金管楽器があったのですが、「チンバッソ」という楽器のようです。ヴェルディは「オフィクレイド」という楽器を指定していますが、現代ではチンバッソで代用するとのことです。
この曲は、その前に書かれた「ドン カルロ」や「アイーダ」を思わせることが少なくないと思いますが、一方でメッツォ・ソプラノがソプラノの引き立て役だけでなく、充分に活躍できるように書かれていますね。「怒りの日」の中の「書き記した書物」をはじめとして。
メッツォの池田香織女史はそれこそエボリ公女 (「ドン カルロ」 の) かアムネリス (「アイーダ」 の) のような立ち振る舞いだったのが面白かった。この曲がオペラに近いことを表しているようでした。
それにしても休憩なしで全曲ぶっとおしというのは疲れました…。確かに「怒りの日」の後で20分休憩をとるとなると雰囲気台無しになるし、演奏しているほうはもっとしんどいでしょうから文句は言えません。
終演後 充分に満足し帰ろうとしたところ、ショックなことを弟から聞くことになりました。
というのも「怒りの日」など大音響の部分で、本来の音とは別に音楽の破片のような雑音がザザザザと聞こえたのですが、これは指揮者のせいか、ホールのせいか、はたまたどっちもなのかなどと思っていました。
もちろん弟の耳にも同じことが起きていると思っていたのですが、そんなの聞こえないというではありませんか。
自分の耳の劣化が原因なのかと愕然としました。
年取るということは、なんともかんとも、困ったことですねぇ…。
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試しに マーラー:交響曲第1番 アバド=シカゴso (外DG)でポチッとな。
数秒で作ってくれました。
壮大かつ感動的な音楽世界へ誘う逸品。マーラーの代表作として知られる交響曲第1番を、シカゴsoがクラウディオ・アッバードの指揮で演奏しています。
そのサウンドは迫力満点。荘厳な序章から始まり、幻想的な中間部を経て迫真のクライマックスへと向かいます。この音楽を聴くことで、心が洗われ、気持ちが高揚することでしょう。
さらに、録音が非常に丁寧に行われているため、言葉にできないほどクリアで、リアルな音色を楽しむことができます。
この商品は、音楽ファンはもちろん、音楽に興味のある人にもおすすめです。家でリラックスしたいときや、音楽セッションのBGMとしても最適です。商品名の商品は、聴いた人の感動を余すことなく伝えることができ、クラシック音楽の素晴らしさを再発見できることでしょう。
<取り扱い注意事項>
直射日光や高温多湿な場所を避け、保存してください。取り扱い方法については、商品の付属説明書を必ず読み、正しくお使いください。
おやおや…。
お次は マーラー:交響曲第7,8番 バーンスタイン=NYP, LSO 他 (3CD) 73DC230 で。
美しいメロディラインと情熱的な音色が魅力的な、マーラーの交響曲シリーズの一つです。
この商品は、著名な指揮者レナード・バーンスタインが振る指揮棒の下、ニューヨーク・フィルハーモニックやロンドン交響楽団など、世界のトップオーケストラたちと演奏したライブ録音を収めた3枚組CDです。
第7番は「夜の歌」をテーマに描かれた、幻想的で非常に美しい交響曲。第8番は、「千人の交響曲」と呼ばれるほど、大編成で非常に壮大な作品です。
この商品を聞くことで、まるでオーケストラ演奏を聞いているような臨場感あふれる音響体験ができます。
また、マーラー楽曲の世界観に浸りながら、心身ともにリラックスできるため、寝る前や読書のBGMとしても最適です。
この商品は、音楽が好きな方、クラシック音楽に興味がある方、リラックスしたい方には特におすすめです。
また、自宅での音楽鑑賞や、クラシック音楽ライブに行く前に予習として聞くのにも最適な商品です。
<取り扱い注意事項>
・直射日光や高温多湿な場所を避け、涼しい場所で保管してください。
・CD表面に指紋やホコリが付着している場合は、柔らかい布で優しく拭いてください。
・CDの表面が傷ついたり汚れた場合は、再生不良等の原因になることがありますので、磨きや洗浄は行わないでください。
これでいいんなら楽になるけどなぁ…。
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そこでブログで掲載することにしました。こちらはこちらで画像が縦向きのみなど 不便なことがあるのですが…。
昭和55年 (1980) 7月13日 名古屋市民会館大ホール
中3の時 クラスの友人数人と聞きに行った演奏会のパンフです。
N響は2つのプログラムで14カ所をまわったようですが、私が聞いたのはプログラムB。
・ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲
・パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番
・チャイコフスキー:交響曲第4番
演奏は オットマール・マーガ指揮 NHKso 前橋汀子(vn)
「ウィリアム・テル」の最後の行進曲で、大きな音、いい響きに驚きました。本物のオケはすごいなと。
しかし次のパガニーニでは居眠り…。メンバーの中で私が一番クラシック好きでしたので、バツが悪かったこと… ( ̄▽ ̄;)
終演後、ロビーでN響メンバーが談笑。コンマスの徳永二男氏を見つけ、生徒手帳にサインをしてもらいました。生徒手帳を差し出した時 徳永氏はポツリと「小さいな」と。書くところが小さくて書きにくい ということだとわかりましたが、色紙を持ってきているわけではないのだから仕方ありません。
実は弟の徳永兼一郎氏(vc) もおられたのですが、なんとなくサインをねだるのを遠慮してしまいました。
実は私、このコンサート、当時の地元 岐阜 各務原で聞いたとずっと思い違いしていました。名古屋に聞きに行っていたとは…。
マーガという指揮者、いまだに他で見たことがありません。ご存じのかたおられるでしょうか?
プログラムAは 野島稔氏のチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。
前橋汀子女史はCBSソニーのCDがバカ売れする数年前。写真 エキゾチックな雰囲気ですね。
画像が横向きですみません。このサヴァリッシュ&N響のリハーサル風景のイラストは当時から興味深く感じていたもの。
そして高3の時 このコンビのコンサートを聞きに行くことができました。ところが音楽どころではなかったんです。その時の話はまたいずれ。
次回を楽しみにしていただけましたら幸いです。
実は小5の時に聞いた人生初のコンサート (京都市響) のパンフを掲載する予定だったのですが、行方不明です…。
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しかしこの頃はそれ以上に小山ルミの「二つのギター」と「さすらいのギター」。ともに1971年発売です。「真夜中のドア」のサウンドは自分の若き日を思い出させますが、小山ルミの2曲は子供時代を思わせます。いわゆる「歌謡曲」。「真夜中のドア」のわずか8年前の発売であることに違和感を感じますが、「真夜中のドア」が最先端のサウンドだったのでしょう。
まず聞いたのは「二つのギター」ですが、そのロシア民謡やロマ (ジプシー) 音楽を思わせる音楽と歌詞が面白くて、また覚えやすく、いっぺんに好きになりました。
調べてみますと、原曲はやはりロシア民謡でした。ブルガリア出身のバス歌手 ボリス・クリストフもDGへの録音で歌っていて、ネットで聞くことができます。
他にもシャルル・アズナヴールや ポール・モーリアをはじめとして 多くの歌手・バンドが編曲しています。そうしたポップス化によって世界的に知られるようになり、日本の歌謡曲にもなったのでしょう。
「さすらいのギター」もいかにも日本製ではないサウンド。原曲はベンチャーズであることが分かりましたが、曲名は「Manchurian Beat」。
「満州人のビート」とはどういうことかと思ってさらに調べてみると、ベンチャーズのオリジナル曲ではなく、フィンランドのバンド「ザ サウンズ」の曲のカヴァーでした。曲名も同じで、ロック調の曲調もベンチャーズによく似ています。
続けてなぜ「満州人」なのか検索すると…。
ついにオリジナルに辿り着きました。
なんと日露戦争に従軍していたロシア軍の軍楽隊長シャトロフが1906年に作曲した「満州の丘のモクシャ連隊」。日本軍との戦いで亡くなった犠牲者の悼んで作られた曲でした。「モクシャ」というのはロシアの一部族でしょうか。
のちに歌詞を付けて「満州の丘に立ちて」としてロシア全土で愛唱されるようになったとのことです。
だから「満州のビート」だったわけですね。
しかし原曲はワルツ調の3拍子で、暗い。よくもこれをロック調に編曲しようと思いつくものだと感心します。
「満州の丘に立ちて」でネット検索すると、オーケストラ伴奏で歌うディミトリー・ホロストフスキーのライヴを聞くことができます。また「On the hills of Manchuria」で検索するとソ連時代の吹奏楽演奏が。
ご興味ある方はさまざまな編曲を聞き比べてみてください。
ところで「二つのギター」は今年春頃 テレビCMやっていた AppleのセキュリティのCMで使われていました。エリーという女の子のスマホのデータがオークションにかけられるというストーリー仕立てのCMです。
ブラームスのハンガリー舞曲第5番と絡めてアレンジしているのです。
これが誰の編曲・演奏なのかは残念ながらわかりませんでした。
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誰の編曲・演奏かわかりました!
ネットにあげられている AppleのCMを見てみると「Fantasy by Esquivele」と字幕がありました。
「エスキヴェル」(ファン・ガルシア・エスキヴェル) は主に1950年代後半から1960年代にかけて活躍したメキシコ出身のピアニスト, 作曲家, アレンジャー (1918-2002)。ラウンジ・ミュージックとジャズ、ラテン風味を組み合わせた、洗練されたインストゥルメンタル音楽を、当時 最先端だったステレオ録音の技術を駆使したカラフルで立体的なサウンド (RCAリヴィング ステレオ) で聞かせることで大いに人気を博したとのことです。
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安倍元首相暗殺、ロシアのウクライナ侵攻開始以上のショックだ。
そういえば今朝 短い間だけど強い地震があったっけ…
愚かな男の凶弾によって命を奪われたことの、なんとやるせない気持ち。
「アベ政治を忘れない」
世界における日本の存在感を高めた立派な政治家に心からの哀悼の意を表します。
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今だに残している唯一の放送回が古いほうのDVDプレイヤーに。今回 久しぶりに見ました。
放送は2014年11月でした。そんなに前だったとは…。
東京 錦糸町にある「ロシアン・ルーレット」という外国人パブに潜入するという企画。
タモリの他 コントトリオ「東京03」、プロレスラー 真壁なにがし、そして進行役のガダルカナル・タカ。
店の女の子は ロシアのラリッサ、ベラルーシのソフィア、リトアニアのレダ、モルドバのラリーサ、ルーマニアのビアンカの5人。まずはひとりずつ代表的な酒や料理、あるいはお国自慢などを紹介しました。
その後 皆でテーブルを囲んで酒のおつまみを紹介。
豚の脂身の塩漬け「サーロ」を紹介する際、モルドバのラリーサが「これはロシアの有名な…」と言ったところ、ロシアのラリッサがとってつけたように「ホホホホ」と笑い「ロシアじゃなくてウクライナ!」と厳しく指摘。
おお みんなは仲がいいわけではないんだということが分かった瞬間でした。
その後 各国でさまざまな違いのあるボルシチを紹介。
ボルシチはロシアの料理と思われがちだが 実はウクライナ発祥の料理だ と進行役のガダルカナル・タカが紹介すると、日本人タレントらは驚き。
するとベラルーシのソフィアがたどたどしい日本語で「昔から、キエフからロシア … ロシア人 … ね、だから …」
ロシア自体がキエフから始まっており、ウクライナとは兄弟国家。料理も同様ということが言いたかったのでしょう。
隣に座っているロシアのラリッサが「モスクワ作るまでにキエフ…」と、助け舟を出したにしては小さな声。
するとソフィアがあからさまに顔をそむけたのです。ラリッサはフェイドアウト。ふたりは険悪な雰囲気に。
タカ「どうしたの?」 タモリ「決してうまくはいってない」 ルーマニアのビアンカ「話合わない」
ロシアが周辺国を巻き込んできた歴史。
ロシア人がそれについて話をすることに嫌悪感を抱いたのでしょうか。
よくわかりませんが、ともかくロシア人とその周辺国の人々の複雑な感情が垣間見られた瞬間でした。
それが興味深くて、面白くて、ずっと録画を残していたのですが、その8年ほど後 ロシアが兄弟国家ウクライナを侵攻して周辺国に恐怖を与える日が来るとは思いもよりませんでした。
今この記事を書いていて気付いたのですが、2014年というとロシアがクリミアを侵攻し、一方的に併合した年ではないですか。
この番組 11月の放送でしたが、大阪は東京から半年くらい遅れて放送。出演者は夏の格好をしています。クリミア侵攻は2014年2月。侵攻から半年くらい経った頃の収録ではないでしょうか。
クリミア侵攻は、ロシアのラリッサが「モスクワ作るまでにキエフ…」と言い出すもフェイドアウトしたこと、ベラルーシのソフィアが顔をそむけたことの理由のひとつであったことでしょう。
ベラルーシはロシアべったりの長期独裁 専制主義国家ですが、人民の気持ちはまったく別ですからね。
んん? ひょっとするとこの番組、ロシアのクリミア侵攻を受けて、ロシアと東欧の女の子は複雑な関係ではないだろうか、面白いものが録れるかも、ということで企画されたものだったのでしょうか。
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先日 少年野球でのコーチの怒鳴り声、日本の少年スポーツの構造的なパワハラについて書きましたが、おととい昨日とウォーキングでいつもの広場を通ると、怒鳴り声は相変わらずなのですが、ポジティヴな言葉だけになっていました。
「そうや、その調子や!」とか「いいぞ、その感覚を覚えとけ!」など。
思わず苦笑。オレのブログ見たんかいな などとふと思いましたが、んなワケない。
最近の高校サッカーの問題、あるいは柔道をきっかけとして話題となった少年スポーツの勝利至上主義の問題の影響でしょうね。
コーチの大声、あるいは野球少年たちの声出しは練習の士気を高めるために欠かせないのでしょう。
ひょっとするといつかはそれもなくなり、静かに野球をする時代が来るのでしょうか。
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ところで。
2週間ほど飛蚊症に悩まされております。
5月8日夜 仕事していると、右目の視界にいびつな形の黒いものが現れ、少し移動したかと思うとすぐになくなり、その代わりに全体的に細かい黒点と 右側に糸くずのようなものが現れました。
3日経っても消えず、網膜剥離か何かかも 大きな病院で手術かも と覚悟しましたが、クリニックで2回の検査を受けた結果、それほど問題ではないだろうということでホッとしました。
硝子体のうしろの一部が網膜から剥がれてしまったことが原因とか言ってたかな (硝子体剥離)。最初に現れた黒いものは血で、それがはじけて細かい黒点になったのだろうと。
そして なぜそうことが起こるかというと一言「加齢」だそうです。私のようにきつい近視の場合 起こりやすいとのこと。
視力は変わらないのでそれほど問題ではないとはいえ、飛蚊症の症状は完全に消えることはないだろうとのことで がっかり。
慣れてきて、何かに熱中してたりすると気づかないこともあるのですが、鬱陶しく感じる時間は決して少なくない。
もっとも不便だと感じるのは仕事でディスクの状態を見る時。ディスク上に余計な線や点が見えて厄介です。
結構 運動しているので年の割には体は若いはずなのですが、確実にガタが来ていることを思い知らされました。
]]>休日には決まって少年野球チ−ムが練習しているのですが、常にコーチが怒鳴り声を張り上げているのが不快です。
親と思しき奥さんらが見学していますが、それを受け入れている様子。
現在 高校のサッカーチームのコーチの暴力とそれに関連したことが問題になっていますが、ひょっとすると日本の青少年のスポーツ教育はいまだに構造的にコーチのパワハラのもとにありがちなのではないでしょうか。
私は阪神タイガースのファンですが、高校野球は断片的にしか見たことがありません。
丸坊主、監督や先輩への絶対服従、精神論、青春・汗・涙の賛美、不自然な入場行進、試合開始のサイレン…。
軍隊、戦争を想起させ、どうも趣味に合いません。
それを主催しているのが「軍靴の音が聞こえる」などと言って とかく戦争や軍国主義に結び付けて警鐘を鳴らすのが好きな新聞社というのは皮肉な話です。戦前はまったく逆の役割を担っていた名残でしょうか。
だいたいなぜ高校野球だけは「部活」の粋を超えているのでしょう。
あれは教育の一環なのでしょうか?
非体育会系の人間にはわからない世界と言われればそれまでですが。
とはいえ 実は小学5年の時 少年野球チームに入ったことがあるんです。入団テストで遠投は私が1番でした。しかしのびのび楽しく野球ができるわけではないことを悟り、すぐにやめてしまいました。
***
高校野球を断片的にしか見たことがないと書きましたが、小学生時代 いとこらと甲子園に見に行ったことがありました。のちに巨人に入った定岡正二 (鹿児島実業) が投げた試合です。定岡が活躍したのは1974年のようで、私は9歳です。第何試合だったかや試合結果などは覚えていません。席は確か一塁側内野席でした。
]]>まだソ連時代、おそらくその末期、NHKで衛星を繋いで日本の市民とソ連の市民が (確か十数名くらいずつくらい) 話し合いをするという番組を見ました。
もちろんロシアがまだ分厚いヴェイルに包まれていた時代 (鉄のカーテンの向こうというべきか)。ロシア人というのはどんな人なのか興味をそそられ見たのでしょう。
日本人の「自分の意思を政府にどう伝えるのか」というような質問に、ロシア人は「政府は私たちのことをちゃんと考えてくれるから意見を言う必要はない」というような答えをしており、ちょっとした衝撃でした。
なるほど、あの暗い あるいは寂しげな目つきをした (それこそプーチンのような) ロシア人たちは日本人が考えるような一般市民ではなく、政府の意向を伝えるために選ばられた人たちなのだ と気づきました。
そして番組最後に日本人 (確か年配の男性でした) がした「ますますソ連という国が分からなくなりました」という勇気ある発言が強く印象に残っています。おそらくロシア側では通訳されなかったことでしょう。
その後 若いロシア男性がギターを取り出し「四季の歌」を日本語で歌い出し、そのまま番組は終わりました。
私はソ連が国として演出した友好ムードにしらけ、なんとも後味の悪いものを感じました。
今回のロシアの恐ろしい蛮行と直接関係はありませんが、プーチンの頭の中はあの不気味だったソ連時代と変わっていないことを強く感じます。独裁によって市民をコントロールする恐怖政治こそ理想なのでしょう。
もうひとつ、ソ連に関連する思い出をついでに。
岐阜に住んでいた時ですから上記の番組より前です。
父の運転する車に乗っていた時、ラジオからベートーヴェン:交響曲第3番「エロイカ」第2楽章が流れ、「ソ連では朝からずっと荘重な音楽が流されており、重要な人物が亡くなったと思われます」というアナウンスがありました。
書記長が亡くなったことがのちに発表されました。
ともに就任して1年前後で亡くなったアンドロポフかチェルネンコかどちらかというあいまいな記憶でしたが、この機会に調べてみますと、1984年2月に亡くなったアンドロポフですね。
私は18歳。6年間の岐阜暮らしの期間中です。
書記長の死に “西側” の音楽を使っていたんだと長く違和感を感じていたのですが、考えてみれば当時ドイツは東西に分かれていましたからそれほどの違和感はないですかね。
]]>冬鳥とのことだが、いつも春先に見かける。
私はツグミに語りかけた。「シベリアに帰る時、遠出になるけど、モスクワまで行って、皇帝閣下に愚かな戦争をやめろと伝えておくれ」
するとツグミは言った。「こちらでは自由に啼くことができますが、あちらでは口をつぐんでいます。だからツグミというのです」
そんなロシア民話があったような なかったような…。
]]>「月曜から夜ふかし」というTV番組を見ていたら、興味深い、驚くべき、不思議な、なんとも腑に落ちない話題をやっていました。
まずは検索エンジンで「【懐かしいCM】妙高サンシャインランド」で検索していただいて、その15秒CMを見てみてください。
CMの最後に出てくる「妙高サンシャインランド」という歌の「ランード」の「ラ」の部分の音程が、聞く人によって「高いド♯・シー・ラ」と聞こえる人と「ラ・シー・ラ」と聞こえる人に分かれるというのです。
うちでも分かれました。私は「ラ・シー・ラ」としか聞こえないのですが、妻は「高いド♯・シー・ラ」としか聞こえないというのです。
どういうことなんでしょう…。
日本音響研究所で分析してもらうと、どうやらメインヴォーカルが「ランド」のラを高い音で、コーラスがラを低い音で歌っているとのことなのですが、私には (確かに少し不自然な感じはあるけれど) メインヴォーカルがラを低い音で歌っているようにしか聞こえないのです。
モスキート音のように年齢によって聞こえかたが違うというわけでもないようで、ホント不思議です。
皆様はどちらで聞こえたでしょうか。
もし理由がお分かりになるかたがおられれば、ぜひコメントくださいませ。
…と書いたところで、もう一度 ネットで聞いてみたら今度は「高いド♯」で聞こえた!
数度聞いてみましたが、そうにしか聞こえない。
しかし 改めてTVを録画したものを聞いてみたらやっぱり「ラ」に聞こえる!
も〜 ますます謎です…。
=追記=
翌日です。なんと TVの音でも「高いド♯」に聞こえるようになりました。
聴覚機能が補正されたのでしょうか。
不思議なことがあるものです。
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