●●ボレットからのレミニサンス●●
私は長い間 一番好きなピアニストと言えば、まずフリードリッヒ・グルダ、
そしてサンソン・フランソワでした。
しかしこのたび、ホルヘ・ボレットがそれ以上の位置につくこととなり
ました。 -オヨヨ!
ボレットに初めて出会ったのは、10年ちょっと前。投げ売りみたいな値段で
売っていた中古CD、リスト:「巡礼の年第2年 イタリア」でした。
私はそれまでリストを「サーカス的」と敬遠していたのですが、リストに
こんな美しい曲集があるんだ と驚かされ、またそれと同時に、ボレットの
美しい演奏に魅せられたのです。
ボレットがもっと聞きたい! そう思いましたが、私は当時 CD屋を辞め、
CDは中古か特価でしか買わないと決めていましたので、聞くことのできた
ペースは遅かったのです。
しかもボレットは晩年にやっとメジャー・レーベルDECCAに録音をした
遅咲き。その上 1990年に死去してしまっていて 録音は決して多くありません
し、そもそも彼はレパートリーが広くない。
ボレットを愛するようになりながらも、たくさん録音を残したグルダ、
フランソワの牙城は揺るがなかったのです。
しかし先日大量入荷したピアノのCD。ボレットもたくさん含まれていました。
それをつぶさに聞いて、ボレットこそ私の最高のピアニスト!という思いに
至ったのです。
CD-Rに録音して手元に残し CDは全部出品いたしましたが、バカのひとつ
覚えみたいに「オススメ」にし、同じような推薦コメントを書いていたことは
熱心にショップを覗いていただいているかたならよくご存知のことでしょう。
“リスト弾き”という称号は、超絶技巧のヴィルトゥオーゾ・タイプに
与えられるものですが、ボレットはその中で唯一、リストの音楽の叙情性を
紡ぎ出すことを考えていたピアニストではないのでしょうか。
技巧を要する曲でも、ボレットの場合 テクニックが冴えて聞こえるわけ
ではないですね。
「超絶技巧練習曲集」もいきり立ったところがなく、エネルギーの放出は
最小限。聞いたことのないような優しい弾きぶりです。
「夕べの調べ」もリヒテルやホロヴィッツとまったく違う! なんと
センシティヴなのでありましょう。
そもそも超絶技巧を超絶技巧として聞かせる気がなさそうで、ヴィヴァー
チェもコン・モートもアジタートもフリオーゾも余裕があって優雅で、不思議
と音の動き自体がゆったりしているように聞こえることもあるのですね。
もちろんDECCAへの録音は60も半ばになってからの録音ということもあって、
テンポが遅めであることもありましょうが。
***
ところで、演奏の特徴に 突飛なものを連想することがありませんか?
アウレリア・ドブレという名を聞いてピンとこられる方など、ほとんど
おられないことでしょう。
大学時代、友達 福添のマンションで夜中 退屈しのぎに、体操競技を見て
いた時のこと。
おそらく1987年のロッテルダムでの世界選手権だったでしょう。
私はドブレというルーマニアの女子選手に釘付けになりました。
ドブレは妖怪人間ベムを思わせるところがあって かわい子ちゃんとまでは
いかなかったけれど、背が高くほっそりとして、手足が長く 美しかった。
そしてなによりも、その演技が他の選手と明らかに違っていたのです。
女子体操は技術偏重によって十代半ばの少女の世界になってしまっています
が、そんな中 彼女の演技はしなやかで、柔らかで、女性らしさがあった。
宙返りも目にもとまらぬ速さ ではなく、優雅に弧を描く様子が見える感じ
だったのです。
難易度の高い技も その技術が目立つのではなく、あくまで美しかった。
翌年のソウル・オリンピックも彼女のことを楽しみにしていましたが、団体
では銀メダルを獲得したものの(金はソ連)、個人ではそれほどの活躍でき
なかった。ソウルの前にひざの手術を受けていたようです。
彼女を見なくなって 体操への興味を失ってしまいましたが、それほど彼女
の演技は鮮烈でした。
彼女の演技はスポーツの域を超えて、芸術に近づいていたと言っていいと
思います。
そう、私はボレットの演奏にドブレを思い出すことがあるんですね。
突飛な発想であることは重々承知しておりますが、やはりある部分で似た
ものがあるように感じるのです。
実はもうひとつ思い出す突飛なことがあるのです。
もと阪神タイガース(のち西武ライオンズ)の主砲だった選手 田淵幸一の
バッティング。
彼のバッティングホームも美しかった。
力感あふれる、というのとは正反対。
あごを引いた、ゆっくりのように感じるスウィング。
打ったあとの身のこなしは優雅で、セクシーですらありました。
彼が西武にトレードされてから、私のタイガースへの興味は失われて
しまったのです。(その後また再燃するんですけどネ…)