●●萎める花●●
先月末、400点ほどのCD買い取りのご依頼がありました。
ご依頼をいただいたのは、以前もお売りいただいたことのある女性の方。
しかしお話のちょっとした部分から、今回はご自身のものではなく 身内の
方の遺品を処分されるのだろう と感じました。
数日後、CD到着。
チェルカスキー、ホルショフスキ、モラヴェッツ、フィルクシュニーを
はじめとするマニアックな演奏家のものばかりであるうえ 貴重なCDも含まれ
嬉しい限りでした。
ただ大変失礼ではありますが、ディスクやケースが汚れ 傷んでいるものが
少なくなく、出品するにはクリーニングや再生確認など結構 手間がかかる
な、と。
貴重なものでも 低めに査定せざるを得ないことを もどかしく感じており
ました。
そんな査定中、数点のCDのブックレットに「小林道夫氏より」の文字。
かのチェンバリスト小林氏とお知り合いだった様子。
しかしその文字はお年を召した方のものではない感じ。
あるいは、ブックレットに挟まれていたメモ。
貸していたお友達からの返却のお礼のようなのですが、その字も若いもので
あるうえ、宛名が「○○君」。
身内の方が亡くなられたわけではないのかも。女性でも親しい間柄では
「君」もあるだろう。やっぱりご依頼主本人さんのものなのかな。
余計な穿鑿で恐縮ながら、そう思い始めていました。
そんな時、ご依頼主さんから また郵便物。
追加の商品でもあったのかなと思いきや、5冊の本でした。
ホルショフスキ、リパッティ、カザルス、その他に関する本。
「お読みいただければ」というお手紙が添えられていました。
そして CDと本は昨年末に亡くなられた弟さんのものであるとのこと。
まさかご兄弟が亡くなられたなんて思いもよりませんでしたので、ちょっと
したショックを受けました。
私よりもお若いだろうに…
趣味を同じくしているお姉様の心中は…
折りしもその前日、父母、われら夫婦、ふたりの弟とその一家の総勢13名が
遅ればせながらの新年会として久しぶりに集合し、楽しいひと時を過ごした
ところでしたので、誰も欠けていないことの幸せを感じずにはいられません
でした。
査定に関するご連絡時、「小林道夫氏より」の文字があったことをお伝え
していたのですが、氏に手紙を送ったり、また大学の講義を特別に受けさせて
もらっていたりしていた ということも書かれていました。
相当 熱心な方だったのですね。
CD時代に “溝が擦り切れるほど聞く” などという言葉はすでに死語でしょう
が、ディスクやケースの汚れや傷みも熱心に聞かれた証なのでしょう。
***
その日の商品アップ時。
その方にお売りいただいた、フルーティスト 加藤恕彦(ヒロヒコ)のCDを
聞いてビックリ。
力強く、魂のこもった音。
細面の優しいポートレイトからは想像できないような極めて雄渾な芸術が、
音質の不備を越えて 迫ってきたのです。
こんなにすごいフルーティストが日本にいたとは…。
唖然として商品アップを急いでいることを忘れ、聞き入ってしまいました。
加藤恕彦は東京出身(1937−63)。慶應大学在学中に渡仏し J.P.
ランパルらに師事。1961年 若くしてモンテ・カルロ国立歌劇場管の首席
奏者に就任しました。ソロ活動もおこない、これからの活躍が大いに期待されて
いましたが、1963年 結婚したばかりのマーガレットともにアルプス・
シャモニーへの旅行中 モンブラン山中で遭難し、帰らぬ人となってしまい
ました。わずか26歳。
その流麗ではない、命を懸けるような音楽は、まるで夭折を必然としている
かのように感じられました。
加藤氏と 買い取りご依頼主の弟さんの早世がダブって感傷的になっている
ところに、シューベルトの「萎める花」変奏曲。
強い吹奏は悲痛な叫びのよう。
シューベルトの苦悩の早世まで入り混じってくるのでした。
お買い上げの方々のおうちの棚が、弟さんのCDの終の棲家となります
ように。
※買い取り依頼主様の了承を得、書かせていただきました。