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いろとりどりの歌 第7曲「八重むぐら」

 第7曲は 第四十七番
 ≪八重むぐらしげれる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり≫ 恵慶法師 (拾遺集・秋)

 秋というのはなんとも微妙な情緒を喚起させる季節。
 夏には 早く涼しくなってくれよと 秋を待ちどおしく感じるのですが、あちらこちらに秋の訪れを感じ始めると、夏が終わってしまうことが寂しく感じられます。

 陽光の落ち着きにエネルギーの衰えを感じ、それによって気分もしぜんと沈むのかもしれません。
 自分の人生に重ね合わせてしまうということもあるでしょうか。
 もちろん若い時にはそんなことはないでしょうが。

 百人一首は 恋歌が四十三首あり、季節の歌は三十二首。
 そして季節三十二首のうち、ちょうと半数の十六首が「秋」なのです。秋はやはり、人の情感に訴えやすい季節であるということでしょう。


 この歌の詞書は −河原院にて あれたる宿に秋来といふ心を人々よみ侍りけるに。

 河原院とは源融(みなもとのとおる) の住まいであった屋敷。その豪奢な邸宅のなれの果てを目の前にして詠まれた歌です。

 ヤエムグラという植物は確かにありますが (アカネ科)、春に繁茂して夏に枯れ、秋には目だちません。
 秋に茂るカナムグラ (クワ科) のことではないか という説もあるようですが、「八重むぐらしげれる宿」というのは荒れた邸や庭の常套的表現だった という説もあるようです。
 おそらくそうなのでしょう。特定の植物を表しているわけではなく、単に雑草が繁茂している様子を表したのだろうと思います。



 源融は嵯峨天皇の皇子に生まれ、源氏の姓を受けて臣籍に下ったという貴族。河原院のほか 宇治に別荘を持っており、それはのちに平等院となりました。
 河原院は主の死後 一時 宇多上皇の所有となりましたが、その後 寺となり、この歌が歌われた頃には 源融の曾孫にあたる安法法師が住んでいました。修理どころか庭の手入れをすることもなかったのでしょう。

 貴族の立派な邸宅であろうが、自然はそんなことお構いなし。徐々に荒らしていき、季節は何事もなかったかのように巡る。
 秋の到来のうら寂しさに、人の世のはかなさが重なります。

 なお融は寛平七年(895) 死去。安法の生没年は判っていないようですが、応和二年(962) に「庚申河原院歌合」を催しています。この歌はその時のものでしょうか。

 現在の下京区木屋町通五条下ルに「河原院址」の石碑があるようですが、推定地より少しだけ外れているとのこと。
 また 融の贅沢エピソードとして、陸奥の塩竈の風景を模して 毎月大量の海水を庭に運び入れ、毎日塩焼きを楽しんでいたという話が有名ですが、河原町五条の南には「本塩竈町」という地名が残っています。

 作者の恵慶(えぎょう) は10世紀後半の僧・歌人。詳しいことはほとんど判っていないようです。

 「みちのくの」 が百人一首に選ばれている河原左大臣は源融のこと。

author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 09:24
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