ラヴェルは愛国心が強かったようですね。
第一次大戦が始まった1914年、ラヴェルは従軍を希望しました。
しかし軍部は彼の願いを拒否。優れた作曲家は音楽で国に尽くすべきだと。
それでも引き下がらなかったラヴェル。
軍部は熱意にほだされ、野戦病院の看護兵として採用します。
ラヴェルはその年の11月、赴任地から友人に手紙を書いています。
<僕は毎日傷病兵の看護にあたっています。でも作曲は続けていて、ふたつのピアノ曲を書いています。ひとつは「フランス組曲」、もうひとつは呪われた修道女の出てくる「ロマンティックな夜」。>
しかし1916年 健康を害してパリに戻ることに。そして翌年除隊。
軍部の的確なはからいによって、ラヴェルは戦死せずに済んだ。
もし戦死していたら、「ボレロ」も 2つのピアノ協奏曲も生まれなかったわけです。なんと恐ろしいこと…。
しかしラヴェルは幾人かの友人を失いました。
ラヴェルは彼らを弔らい 讃える作品を書く計画を立てます。
そこで思いついたのは、作曲を中断していた故国讃歌「フランス組曲」に、友人たちの追悼を結びつけること。
フランソワ・クープラン時代の様式を模した6曲にはそれぞれ 死んだ友人の名が記されました。
こうしてブルボン王朝から作曲当時の現代を結ぶフランス讃歌ができあがったのです。
曲名は「クープランのトンボー」と変更。
「トンボー tombeau」とは「墓碑」の意味から派生した、故人を讃える作品の意味です。
オリジナル・ピアノ版初演は1919年、演奏はマルグリット・ロン。
終曲のトッカータが捧げられたのは、彼女の夫 ジョゼフ・ドゥ マルリアーヴ大尉でした。
***
その後 ラヴェルは ピアニスティックな「トッカータ」と「フーガ」を除いた4曲を管弦楽化。
ラヴェルはピアノ曲として書いたものを管弦楽化しても、まるでもとから管弦楽曲にするつもりだったかのように編曲してしまうところがスゴイですね。
まさにオーケストレイションの魔術師。
私はピアノ版も好きですが、色彩的な管弦楽版のほうが より好きです。
擬古典作品の独特のムード。過去への憧憬。優雅でやわらかく。
オーボエ大活躍。
ラヴェル一流のイロニーや毒はほとんど盛られていませんが、彼の管弦楽曲では一番好き。
なかでも第3曲:メヌエット。
オーボエによる主題のなんと可憐なことでしょう!
胸がいっぱいになってしまいます。保続低音が何とも心地いい。
間に挟まれるフルートによる変形メロディは ほんのわずかなスパイス。
ソット ヴォーチェで始まるトリオは不安な情緒。
ゆっくりとクレッシェンドして それは高まっていく。
それが収まったところで スッとメヌエットに戻るのですが、特に好きな部分はここ!
オーボエは1オクターブ高い 甲高い音色で、メヌエットの再開を告げるのです。
また優美で心地よいひと時が戻ってきたことの喜び。
しかしそうした幸せもわずかな時間で過ぎ去り、快活なリゴドンに移ります。
もちろんこれも、楽しい聞きものです。
「ロマンティックな夜」は 結局ボツになりました。完全に破棄されてしまったのでしょうね。