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いろとりどりの歌 第44曲「なげてとて」
  第44曲は 第八十六番
 ≪なげけとて月やはものをおもはするかこちがほなるわが涙かな≫ 西行法師 (千載集・恋)

 今回は前回ちらっと名の出た西行の歌にいたしましょう。

 西行には以前 親近感を感じていました。
 長らく自分の先祖に近い人物だと思い込んでいたのです。
 というのも 我が家の家系図が、房前 (摂関家 藤原北家の祖) の五男 魚名から続くのですが、そこに 直系ではないながら ごく近い人物として佐藤義清(のりきよ) つまり西行の名があったのです。

 全国を放浪した西行の最後の地となったのは 河内国の弘川寺 (大阪府河南町)。
 大和葛城山の大阪側からの登山口のひとつになっているということで、10年以上前になるでしょうか 山登りがてら訪れ、感慨深く参ったものです。

 ところが そののち、家系図 (をコピーしたもの) を見せてくれた父から衝撃の告白が。
 家系図はいい加減なものであると。その昔 おそらく金を出して 適当に繋げてもらったものだろうと。
 長く信じていた出自が実はデタラメということで ちょっとしたショックでした。

 が まぁ だからといって 何が変わるわけでもありません。特に西行を崇め奉るようになっていたわけではありませんしね。

 とはいえ 彼の漂泊の人生には憧れを感じます。物に縛られ、それを失うことを恐れている自分がバカみたいに感じることがあります。
 人生はホント難儀なものです…。

 さて 歌。
 「かこち顔」の「かこち」は かこつける、他人のせいにする という意味。「〜顔」という表現はそれまでの歌には見られないとのことで、西行独自の表現だったようです。彼は他の歌にも使用しているとのこと。

 = 嘆けと言って 月が物思いにふけさせるのだろうか。いやそうではなく 恋わずらいだというのに月のせいにして 私は涙しているのだ =

 月前恋といへるこころをよめる という題詠。

 う〜〜ん、あたしゃ 好きではないですなぁ、、、
 あ、独り言が漏れました、スミマセン。


 西行(さいぎょう) は平安末期の武士・僧侶・歌人 (1118-1190)。
 左兵衛尉に任ぜられ 鳥羽院の北面の武士としても奉仕しましたが、1140年 23歳で出家 (円位、後に西行)。若くして出家した理由として 待賢門院璋子への失恋は有名ですね。しかし現在では友人の死が有力とされているようです。

 勅撰集入集は「新古今集」九十四首 他。家集は「山家集」。

 なお 西行といえば <願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ> が有名。本当に2月(旧暦)、そういう頃に死んだということが後世の人々の心を打ったようです。

  
    ↑ 家系図から西行前後を ごく簡単にして書き写したもの 当時は喜んでいたのですが…
author:, category:いろとりどりの歌(百人一首鑑賞), 01:41
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