シベリウスの7つの交響曲で最も理解が遅かったのは第4番。若い頃には晦渋すぎました。
しかし若い頃に敬遠していた曲が 年をとって解ると 一転大好きな曲に変わるというのはよくあること。この曲もそうなりました。
シベリウス:交響曲第4番イ短調Op.63 1911年
緻密な弦楽合奏を中心としたオーケストレイション。
第1楽章:テンポ モルト モデラート, クヮジ アダージョも不気味な重々しい低音の弦楽合奏で始まり、チェロによる陰鬱な第1主題。
クレッシェンドしながら第2主題へ入り 金管が登場。最初 陰鬱さはそのままに もがき苦しむようでありながら 次第に穏やかになり 柔和な表情に変わっていきます。
しかし第1主題をもとにした展開部に入ると 表情をゆがめます。緊張感ある音楽。
再現部は第2主題に基づいており 再び柔和さを取り戻していくのですが、コーダに入り また不穏になったか思うと、しっかりとした結末も作ることもなく、糸を引くように消えてしまいます。
第2楽章:アレグロ モルト ヴィヴァーチェ。しかしその表情記号は名ばかりの ふわふわとした はっきりとしない表情。
結局 荒れた 不穏な音楽となり、この楽章も第1楽章同様、いやそれ以上に尻切れトンボで突然終わりを迎えます。
第3楽章:テンポ ラルゴ。途切れ途切れのつぶやきのよう。思索的な。
メロディが判りづらく 最も難解な楽章ですが、後半、ヴァイオリンによる感情を高ぶらせるようなクレッシェンドで メロディらしいメロディが。大変印象的な場面です。
第4楽章:アレグロ。グロッケン (グロッケンシュピール) 登場。快活とまではいかないながら、心地よいリズムにのった明るい音楽。
ところが副主題。狂気を含んだ不安な気分が。
特にここが好き!
リズムの刻みは高鳴る鼓動のように。メロディはゆがみ、そして下降。
その微妙な感情表現の巧みさ。
その後、明るい主題が戻るものの すぐに不穏な副主題が現われます。明るい気分・希望と不安・狂気のはざまを行きかう。
しかし最後、心地よいリズム感は崩れて ブレーキがかかったかと思うと 音楽は破綻、のた打ち回るかのように。手に汗握る部分です。そんな中で鳴るグロッケンシュピールが不気味…。
音楽は途切れ途切れに。そこにあるのも狂気・悶絶。
最後ようやく正気を取り戻しますが、すべてを諦めたかのようにフェイドアウトし、全曲を閉じるのです。
なんと恐ろしく、また素晴らしい音楽! 特にこの第4楽章は絶品。シューベルト晩年の世界に通じるよう。
初演の評判は芳しいものではなかったものの、作曲者の自信が揺らぐことはなかったとのことですが、大いに納得されるところであります。
シベリウスがこの曲に込めた思いには さまざまなことが言われているようですね。
喉の腫瘍の摘出手術は成功したものの 再発することへの恐怖。好きな酒と葉巻をやめねばならなかったことへの苛立ち。
あるいは「生涯で最もすばらしい経験のひとつ」と語ったという 北カレリア地方コリ山地へ旅行。
この旅は義兄エーロ・ヤルネフェルトを伴ったものでしたが、この曲は彼に献呈されています。
そして 現代音楽への抗議。
シベリウスはこの曲を「心理的交響曲」と呼んでいたということですが、以上のことも あるいは場合によっては他の事柄も ない交ぜになって 音として昇華しているのでしょう。
この部分がこういう出来事や心理状態を表しているというようなことがあるのかもしれませんが、シベリウスはそれを聞き手に解ってほしいとは考えていなかったことでしょう。