今回は
バッハの「音楽の捧げもの」BWV.1079 を。
この曲、表情的ではない、不気味な感じさえする曲想に 長年親しめませんでした。
人に聞かせることを前提としていない、バッハ自身の満足のための研究という感じがしていたのです。いわば ひとつの主題の培養実験のような。
実験室に閉じこもって 自らの才能を確かめるかのように作り、まとめて発表する気もなかった断片の数々というイメージ。
しかし パイヤール指揮のフルートと弦楽合奏による 明朗で肌触りのよい演奏が 楽しむことができるきっかけに。
そしてこの曲の成立が、孤高の天才の老いの慰みというイメージとは相当違ったものということを知ります。これが大いに人間臭いんですねぇ。
晩年 ザクセン選帝侯国内の自治都市ライプツィヒに住んでいたバッハ。
後援者カイザーリング伯爵の取り計らいで、1747年 フリードリヒ大王の宮廷に招かれることになりました。
フリードリヒ大王の宮廷といえば 次男C.P.E.バッハが仕えています。ちょうど生まれたばかりの孫に会うのも楽しみでしたが、最大の目的は新しい仕事を探すことであったようです。
王に招き入れられるバッハ。王はすぐさまフォルテ・ピアノに向かって主題を弾き、バッハに即興でフーガを作ることを命じました。
バッハは見事な演奏を披露。
王のみならず、居合わせた人々に拍手喝采を受けたのです。
翌日夜も招かれたバッハ。王はさらに6声のフーガを所望。
バッハは王の主題を用いることができなかったものの、自作の主題で見事な演奏を聞かせ、喝采を受けました。
大きな成功を収めてライプツィヒに帰ってきたバッハ。
王の主題による6声のリチェルカーレ他を作曲して 王に献呈、また出版しました。
バッハは御前で王の主題による6声即興ができなかったことが悔しくてしかたなかったでしょう。
この曲集は、旅での王へのアピールは成功だったものの、王の主題による6声ができなかったという わずかな瑕疵を残したことを悔しさから生まれたものに違いありません。
…と思っていたのですが、パイヤール盤のライナーノートを改めて読んでみると 意外や意外、献呈されたのは3声のリチェルカーレ (御前での即興演奏をそのまま楽譜化したもの) と、7曲のカノンのみだったといわれる とあるではありませんか。
その後 6声、トリオ・ソナタ、無限カノンを作曲し、献呈分と併せて出版したと。
まさか 6声は王に献呈していなかったとは…。
そうだとしたら 6声はリヴェンジだったわけではないということになりそうですね。
それどころか 近年では 御前での即興演奏の話も真実ではないのではないかと疑義がもたれているようです。
ゴルトベルク変奏曲成立の有名な不眠症の話も今では否定されていますし、この曲もいつか 実は主題は王が作ったものではない などということになるのかも知れません。
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さて 特に好きな部分は。
リチェルカーレやカノンを楽しめるようになったといっても、適当な聞きようで 音楽の構造の仕掛けが解るわけでもなく。
結局 昔から楽んでいたトリオ・ソナタが一番好きということになります。
さめざめと泣くようなメランコリックな表情の第1楽章:ラールゴ。他の曲とは明らかに違った様式に驚かされます。
しかも この楽章は王の主題が聞こえない。
…と思っていたら、ミュンヒンガー盤のライナーノートに「王の主題の最初のフレーズがチェンバロの左手に分割された音価で目立たぬように示される」とあります。
と知っても、私には聞き取れませんが…。
そして第2楽章:アレグロ。リズミックな主題、生き生きとした かっこいいフーガ。
そして この楽章では王の主題が対位主題として よく判るように現われる。ここが好き!
まずは通奏低音 (ヴィオラ ダ ガンバ) で2回、次にヴァイオリン、最後にフルート。
最初に聞いた時から魅了された楽章で、好きな箇所ですが、今でも同様です。 −進化してないってことかなぁ…。
第3楽章:アンダンテは牧歌的な間奏曲が始まるのかと思いきや、実は安らぎではなく 不安定で不穏な情緒。この楽章も素晴らしい。
ここも王の主題は目立ちませんが、ヴァイオリンによる それらしき断片があります。
第4楽章:アレグロ。ここでは主要主題が王の主題。しかし堂々と現われるわけではなく、3拍子による不安定な せわしない動き。
これで4楽章のソナタが完結しますという立派さがなく、嵐が過ぎるよう。
当時 流行していた多感様式の影響というか、取り入れて作曲してみせたということなのでしょうか。