- いろとりどりの歌 第63曲「山川に」
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2012.11.30 Friday
さて残る紅葉ニ首を。
まずは第三十二番
≪山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり≫ 春道列樹 (古今・秋)
「山川」は 山と川ではなく 山の中の川なので「やま“が”わ」。
「しがらみ」は 流れをせき止める柵。
「流れもあへぬ」は 流れようとしても流れない。
= 山中の川に風がかけたしがらみは、流れることができない紅葉なのだ =
そのまま訳せばこうなりますが、ちょっと解りにくいですね。
要は 風に飛ばされて 川に散り落ちた紅葉が川の流れから外れたところに溜まっているのを、風が作った堰と見立てるという趣向。
−山中の川、流れることができず溜まった紅葉、それはまるで風が作ったしがらみのようだ
というふうに訳すと解りやすいでしょう。
詞書は、志賀の山越えにてよめる
京都北白川から比叡山と如意嶽(いわゆる大文字山) との間を通って 近江大津へ抜ける山道を、古くは「志賀の山越え」と言ったとのこと。
この歌は題詠でなく即興の歌で、作者は天智天皇創建の崇福寺(すうふくじ) を参詣するためにここを通っていたということです。
ただ整備された歩きやすい道ではなく、相当険しく あまり人の往来はないような道だったらしい。
昼間でも薄暗い山中、晩秋の冷たい風。しぜんの山道は頼りなく、しかも落ち葉が積もっていて滑りやすい。そんな険しい山道を慎重に進んでいる時、ふと 自然の織りなす美しさにふと心が和んだのではないでしょうか。
いいですねぇ。山歩きでも似たようなことがあります。
現代ならカメラを取り出すところ。しかし 感じた美しさの何割をカメラで捉えられるというのでしょう。
しかし いにしえの風流人は 三十一の言葉でそれを表わし、千年後の鑑賞者の心の中で再現させるのです。
言葉や状況は移り変わり、訳や説明を要することがあるのが難点ではありますが、それでも 和歌 (あるいは俳句) というものの力と魅力を改めて感じずにはいられません。
京都の山地図を見てみると、比叡山の山腹にある比叡山ホテルから南東方面へ下る道の脇に崇福寺跡があります。
一方 北白川から比叡山ホテルへ登る道は、「てん子山」という珍しい名のピークを行く道と、その北側の谷を行くコースがありますが、どちらかの道にこの歌の「山川」があるのでしょうか。
てん子山の北側の谷道は 川沿いを長く歩くコースですが、地形的にはそれほどきつい谷ではなさそうなので違うみたい。
たとえ「志賀の山越え」の道ではないにしても面白そう。そのうち行ってみたいものです。崇福寺跡への下りも琵琶湖を見下ろしながらの楽しい道ではないかと、想像が膨らみます。
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春道列樹(はるみちのつらき) は平安中期の歌人 (?-920)。経歴はほとんど分かっていないようです。延喜十年(920) 壱岐守に任ぜられたものの 赴任前に没したと伝わっています。
古今集に三首、後撰集に二首入集。
古今集に収められた <昨日といひ今日と暮らしてあすか川流れてはやき月日なりけり> も有名。
「昨日・今日・明日」が詠み込まれ、「飛鳥川流れて早き」と「流れて早き月日」をかけており、技巧的です。
それにしても、春道列樹って ペンネイムのように美しい名前だと思いませんか?
それほど高名な歌人ではないもかかわらず 印象的で、百人一首を全首覚えようとしていた時、すぐに作者名と歌を覚えたものです。