- いろとりどりの歌 第66曲「朝ぼらけ有明の…」
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2012.12.24 Monday
23日は天皇誕生日ということで 天皇の御歌を取り上げたいところですが、天皇の歌は残り2首のみ。
第九十九番目の後鳥羽院と最後の順徳院で、最後に紹介したいととっておいてあるものです。
百人一首にはさすがにクリスマスの歌はなし。それどころか 新年の歌さえないんですよね。
ということで「季節」というものを最も感じるこの時期にも 雪の歌を取り上げるくらいが精一杯のようです。
≪朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪≫ 坂上是則 (古今・冬)
二首ある「朝ぼらけ」の一方。もう一方はすでに紹介済みです (「宇治の川霧…」)。
= 吉野の里、夜が明けはじめる時刻。有明の月の光かと見えるほど雪が降っている =
未明に目が覚め ふと屋外に目をやって 有明の月の光かと思ったものは、雪の白さだった ということでしょう。
田舎の冬の朝の冷たい空気。暗さの中の明るさ。降り積もった雪と 現在も降る雪。
なんともいえない 微妙な情趣が素敵です。
詞書は、大和の国にまかれりける時に雪のふりけるをみてよめる
吉野については雅経の 「み吉野の」 で触れましたが、大和国 (奈良県) 南部の山間地方。天皇ゆかりの地で 歌枕としてもなじみ深い場所。
「み吉野の」の本歌が是則の <み吉野の山の白雪つもるらし古里さむくなりまさるなり> であることもそこで書きましたが、是則の代表作は吉野の冬の二首なのですね。
それは単なる偶然ではなく、是則が 大和権少掾、ついで大掾 (しょうじょう・だいじょう) (知事のようなものか?) を務めていたことが大きいに違いありません。
皆の古里であると同時に、彼にとっては思い出たっぷり、それこそ故郷に近いような古里であったのではないでしょうか。
なお 是則のほうの「み吉野」は、奈良に滞在している時に 吉野の様子を想像しているという歌ですが、ここでの「ふるさと」は吉野ではなく奈良ですね。
(この用法での)「ふるさと」は 特に吉野に限っていたのではなく、いにしえの都があった大和国を意味するものだったようですね。
坂上是則 (さかのうえのこれのり) は平安時代前期から中期にかけての官人・歌人 (生没年不詳)。908年 大和権少掾、のち権掾。少内記・大内記などをへて、924 従五位下に叙せられ、加賀介に任ぜられました。
歌人として大いに活躍。家集は「是則集」。古今集初出、勅撰集に四十三首入集。
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余談ながら。
たまたまTVをつけたら YTV「みやね屋」で 天皇陛下の話題。いい気分で見ていたら、次の話題がタレントの泥沼離婚劇。
視聴者は何の違和感もないものなのだろうか?