- いろとりどりの歌 第68曲「有明の」
-
2013.01.27 Sunday
第68曲は 前回の「かささぎの」で名が出てきた忠岑の歌にいたしました。
第三十番
≪有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし≫ 壬生忠岑 (古今・恋)
有明の別れといえば、後朝(きぬぎぬ) の別れ、つまり恋人たちが共に一夜を過ごした後の別れと解するのが常識。
つまり 愛を引き裂かれる時間、有明の月がつれなく見えた。それ以来 暁ほど恨めしく感じられるものはない というような意味。
ところが この歌、古今集では「逢はぬ恋」の一群の中にあるというのです。
つまり男が女のもとへ通って行ったものの、どういう理由からか 思いを遂げられずに帰った歌ということに。
忠岑は古今集の撰者のひとりですので、編集上のミスということはないでしょう。
つれなく見えたのは女であり、有明の月でもあったということになります。
= あなたにつれなくされて 有明の月がつれなく見えた別れ。それ以来 暁ほど恨めしく感じられるものはない =
有明の月の光が 薄暗い室内で見た おしろいを塗った女の白く丸い顔とダブったのではないでしょうか。
三省堂古語辞典も逢はぬ恋説をとっています。例によって情感たっぷりの意訳をご紹介。
−満たされぬ思いをいだいて、あなたのもとを辞した、あの明け方、そのような私の心をくみとりもしないで、平気な顔で有明の月が残っていた。その夜明け方、あのとき以来、わたしにとって、暁ぐらいうらめしいものはなくなりました。 (いやに句点が多いですが 原文のままです)
ただし定家は、後朝の別れの歌で、つれなく見えたのは月と解しており、その上で「つれなく見えしこの心にこそ侍らめ この詞のつづきはおよばず艶にをかしくもよみて侍るかな これほどの歌一つよみ出でたらんこの世の思ひ出に侍るべし」とこの歌を大絶賛しています。***
壬生忠岑 (みぶのただみね) は生没年不詳、平安時代前期の歌人。
下級武官だったようですが、歌人として大いに活躍し、「古今和歌集」撰者に抜擢されました。
家集「忠岑集」。勅撰和歌集入集は八十四首。
さて前回書きました <「大和物語」の中の とある話に、宮殿の階段を「かささぎのわたせるはし」と喩えている壬生忠岑の歌があり…> の話をご紹介いたしましょう。
酒に酔った右近大将 藤原定国が 夜更けに突然、弟の三条右大臣 定方の邸を訪問。
定方邸では深夜の予期せぬ来訪に大騒ぎとなりました。
その時、定国のお供をしていたのが忠岑。
彼は階段の下で 松明を手にしたまま ひざまずき、歌を詠みました。
<かささぎの渡せるはしの霜の上を夜半に踏みわけことさらにこそ>
家持の歌を踏まえ、主人は決して酔った勢いで無礼をしにきたのではなく、どうしても会いたいわけがあったと言い訳をしたのです。
定方は彼らを招き入れて 夜通し飲み明かしたうえ、忠岑に褒美を与えたとのことです。
有名な歌人であった定方 (「名にし負はば」)、とっさに主人をかばった機転の歌に感激したのでしょうね。