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メルマガ2010/05/22 最も愛する交響曲の話(になってしまいました)
 ▼▼最も愛する交響曲の話(になってしまいました)▼▼

 「レコ芸」6月号、尊敬すべき音楽評論家 吉田秀和氏の「之を楽しむ者に
如かず」、とても面白かった。

 まずルドルフ・ゼルキンの演奏についての感想を書かれているのですが、
まるでゼルキンの音が聞こえてくるような表現の数々。
 こういうのを読むと、ああ こういうふうに書かないと…、と感じてしまい
ます。
 そしてすぐに ああ、オレは評論家ではなかった…と気づき、ほっとしたり
するのです。

 吉田翁の話は次に シューベルトの「未完成」について。
 若い頃 この曲が好きだというと、通俗名曲だと音楽通に馬鹿にされたもの
だが、「いつ聞いたって、気に入った。」という、いわば「未完成」讃歌。

 それは気張った主張ではなく、ユーモアを漂わせた 軽いタッチの書きよう
なのですが、ほかでもない 吉田秀和氏の言葉ということで、やはり嬉しい
もの。

 そうです。「未完成」はわたしの最も愛する交響曲のひとつなんです。

 10年以上前になるでしょうか、「未完成」の 特に第2楽章が、死の誘惑や
恐怖を思わせる、ゾッとするような音楽であることに気づいて大変なショック
を受けました。
 通俗名曲らしい甘美なメロディの奥にある奥深さ。

 わたしはその数年前に奈良で見たエドゥヴァルド・ムンクの絵を思い出し
ました。

 メロス四重奏団のシューベルトの後期弦楽四重奏曲を集めた2枚組CDに
ムンクの絵が使われていましたが、仏ハルモニア・ムンディに同じ感覚の人が
いる!と嬉しく思ったものです。(といいながら実はあの演奏 聞いたことが
ないのですが。無性に聞きたくなってきました。)

 シューベルトはそれまで好きではなかったのです。おセンチでイジイジして
いて。
 しかしこの「未完成」の発見から、いくつもの曲に生の喜びと恐怖、
あるいは死への憧れと恐怖みたいなものが含まれることに気づき、いっぺんに
愛する作曲家へと変わったのです。

 
 モーツァルトの第41番K.551も最も愛する交響曲のひとつですが、この曲も
若い頃はもうひとつ好きになれませんでした。
 モーツァルトはシューベルトとは違って、それまでも最も好きな作曲家で
あったにもかかわらず、です。

 輝かしい第4楽章は大好きだけれど、それまでの3つの楽章が中途半端だと。

 しかしその第1〜3楽章に含まれる暗い翳や、白痴的な不気味さこそ、
モーツァルト晩年の醍醐味であり、モーツァルトの音楽が偉大である大きな
理由のひとつということに気づいてからは、特別な音楽となったのです。

 アーノンクールとヨーロッパ室内管の演奏は、第1楽章の不気味さを、それ
となく強調しています。
 あの第1楽章の勇壮な主題が、これほど空元気に聞こえる演奏がこれ以外に
あるでしょうか。

 …

 実は、予定していたこととまったく違うことを書いてしまいました。

 本当は、吉田秀和氏が「未完成」を「未完成」らしく演奏することの難しさ
を書いている部分に、あることを思い出し、それを書こうとしていたのです。

 それより書きたいこと浮かばなかったら、来週書くことにいたします。


 ところで、わたしの最も好きな交響曲、もうひとつはベートーヴェンの
「パストラーレ」。
 通俗名曲バリバリですねぇ。これは翳は関係なし。わたしの田舎趣味を反映
したものでしょう。
 特にあの変わった形の第2楽章、自然の美しさをそのまま音に移したような、
あの麗しさにはメロメロになってしまうのです。

 あとは マーラーの9番、「大地の歌」、シベリウスの4番、5番あたりかなぁ。
author:, category:MELUMAGA-2010-I〜, 20:58
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